短歌・和歌

岡本かの子の母の短歌と岡本一平が太郎に送った電報

投稿日:

岡本かの子の短歌が、今日母の日の朝日新聞の天声人語欄に紹介されていました。

芸術家の岡本太郎さんの母として、奔放な生活を送ったかの子がわが子を詠んだ短歌とは、フランス、パリでの太郎との別れの後のことです。

芸術家の岡本太郎の母として、かの子が詠んだ短歌をご紹介します。

スポンサーリンク




岡本かの子の短歌


母の日の今日、小説家で歌人の岡本かの子が詠んだ、短歌が紹介されました。

息子である岡本太郎さんを詠んだものです。

犬が吠(ほ)ゆればとて猫が鳴けばとて雀子がさへずればとて汝(なれ)をおもふぞ

歌は、息子の岡本太郎がパリに留学中に詠んだ歌です。

岡本太郎は、かの子の一人息子でした。太郎をパリにおいて、岡本夫妻は帰国、息子のいない国において、犬や猫、スズメのこえにも、息子である「あなたを思う」というのが歌の内容です。

犬や猫というのは、一つのたとえであり、「息子に似た青年の後ろ姿を見たときに、息子の古い着物を取り出したときに。「タロー! タロー!」と叫んで走り回りたくなる気持ち」をそのように歌にしたということなのですが、他にも

ふらんすの巴里遠くしてわがのんど裂きつつ呼ぶとも吾子(あこ)に聞(きこ)えじ

「いかに声を振り絞って呼ぼうとも、パリではわが子には聞こえない」と太郎への募る思いを歌に詠んでいます。

また、パリで、太郎と別れた際には下のような歌も。

うつし世に人の母なるわれにして手に觸(さや)る子の無きが悲しき

太郎との別れは、夫や愛人をもってしても、埋められない悲しみであったことがうかがえます。

母としての岡本かの子

岡本太郎が幼少の頃は、裕福な家に育ったため、かの子は育児も家事もできなかったようです。

それだけでなく、かの子の愛人も二人同居していたというのですから、芸術家の夫婦の生活には驚かされます。

しかし、うつし世、つまり現実の世においては、私も人の母である。

そうして、かの子は、手を握るその子が傍にいないことを嘆くのですが、かの子の人生でい通りにならなかったことは、あるいは、太郎との留学による疎遠くらいであったかもしれません。

そのような、心的な苦痛がかの子を「うつし世」に生きる一人の母であると、改めて自分自身に自覚させるものともなったのでしょう。

 

「桜ばな」の岡本かの子の代表作

岡本かの子の歌で、一番多く引用されるのは、

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり

という作品で、これがかの子の代表作のように言われています。

家族にとっては大変な妻、大変な母であったのは間違いありませんが、かの子の意識としては、それが「いのち一ぱい」のことであり、かの子の見る桜というのは、そのようなものだったのでしょう。

 

岡本かの子の逝去時のエピソード

岡本一平とかの子夫妻は、一平が朝日新聞の特派員となったため、1930年(昭和5年)、かの子の愛人の青年2人とで一緒に渡欧。

10年フランスで暮らしたそうですが、パリで勉強を続ける太郎を置いて別れて帰国、そのあとは、かの子は太郎には会わずに亡くなってしまいます。

その折、かの子の夫、岡本一平は、太郎にかの子が亡くなったことを、電報で次のように知らせました。

岡本かの子の逝去を伝える電報

なくなる4日前には、 「カノコビョウキ、カイフクノミコミ」。

そして2日後、「カノコキトク、キボウヲステズ」。

そのまた2日後、太郎の元にとうとう次の電報が届きます。

「カノコヤスラカニネムル。キヲオトスナ。
ボクハキミノタメニイキル。スコヤカニアレ。
クルシケレバ、デン(電)ウテ」

かの子を挟んで、一平と太郎の間の強い絆、そして最終行には、かの子と一平との強い結びつきもうかがえます。

かの子は、その後の岡本太郎の華々しい活躍を目にすることはありませんでしたが、太郎の自由奔放なところやその作風は、やはりかの子から受け継がれたものだったかもしれません。

かの子から太郎へ受け継いだもの、そして、かの子もまた、一人の母であったということにこれらの短歌の作品を見ると、少なからずほっとする思いになるのです。

 

瀬戸内晴美の記す岡本かの子の伝記小説







tankakanren

-短歌・和歌

error: Content is protected !!

Copyright© 短歌のこと , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.