岡本かの子の短歌代表作と桜の短歌  

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岡本かの子の短歌代表作と桜の短歌

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岡本かの子は小説家として知られていますが、歌人としても短歌をたくさん残しています。

2月18日は、岡本かの子の命日「かの子忌」。

きょうの日めくり短歌は、岡本かの子の短歌代表作をご紹介します。

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岡本かの子の短歌

岡本かの子(1889〜1939)は、大正・昭和時代の小説家・歌人・仏教研究家。「明星」や「スバル」に早くから短歌を発表しています。

岡本かの子の短歌代表作をご紹介します。

 

岡本かの子の短歌代表作

岡本かの子の短歌の代表作としてよく引かれるのは、下の歌です。

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり

作者:岡本かの子 「岡本かの子全集」より

解説

桜の花は、大変豪華に枝を埋めて咲きますが、間もなく散ってしまいます。

植物は皆そうとも言えますが、桜は木の大きさが大きいだけに、花の咲いているときとない時との、その前後の視覚的なコントラストが大きいといえます。

それを「いのち一ぱいに」と作者は表現し、それに自らの生を重ねているのです。

一所懸命に咲いている桜、それを眺める自分にも、ふつふつと精一杯、命を傾けてこの生を生きようとする、岡本かの子の思いが伝わってきます。

この歌のさらに詳しい解説と鑑賞は以下の記事に

 

岡本かの子の桜の短歌

他にも かの子には、桜を詠んだ下のような歌が全集に収められています。

桜花散りもしくらん眸ふせて人想ひ行く君が旅路に

さくらばな明るき昼の窓近く置きもかねたるわが荒れし手よ

さくら花咲きに咲きたり諸立ちの棕梠春光にかがやくかたへ

さくら花ひたすらめづる片心せちに敵をおもひつつあり

桜ばな暗夜に白くぼけてあり墨一色の藪のほとりに

桜花軒端に近し頬にあつるかみそりの冷えのうすらさびしさ

さくらばな咲く春なれや偽もまことも来よやともに眺めな

さくら花まぼしけれどもやはらかく春のこころに咲きとほりたり

桜花ちりて腐れりぬかるみに黒く腐れる椿がほとり

さくら花さかんとするや日の本の弥生の雲は空になづまず

桜花蕾ふゝめり青やかに根笹ぬらして今日ぞ降る雨

さくらばな花体を解きて人のふむこまかき砂利に交りけるか

 

ともすればかろきねたみのきざし来る日かなかなしくものなど縫はむ

作者:岡本かの子 「岡本かの子全集」より

解説

「ともすれば」は「場合によっては」の意味で、この場合の「ねたみ」とは、やはり恋の嫉妬なのでしょう。

人を恋する心は不安定なもので、ふと不安になったり、嫉妬が湧いたりする、そのようなこころの陰りをうたっています。

「日かな」は「日がな」、一日中の意味で、その嫉妬からくる心の痛みに耐えるために、ただただ針を動かすという女性らしい対処とその仕草がうたわれます。

 

力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ

作者:岡本かの子 「岡本かの子全集」より

幼い息子に語りかける言葉をそのまま歌にしたような作品。

生れたままの、力もない、そして「弱く美しく」というのは、まさしく赤子のそのままのありようです。

今のままで良い、十分可愛いという最大限の子どもへの賛辞なのです。

 

鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ

咲き盛るケイトウの花、その赤さに、自らの精神的な危うさを重ねます。

「あまりに赤しよ」のリフレインが印象的です。

 

かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも

奔放なかの子の内省の歌。みずからを「をんな」として、距離を取ってうたっています。

初句、かの子の「かなしみ」とは何だったのか。

わがまま一杯の生活を送ったかの子ですが、

 

岡本太郎との別れに際して詠んだかの子の短歌

他に、息子である岡本太郎さんを詠んだものも忘れがたいものがあります。

犬が吠(ほ)ゆればとて猫が鳴けばとて雀子がさへずればとて汝(なれ)をおもふぞ

歌は、息子の岡本太郎がパリに留学中に詠んだ歌です。

岡本太郎は、かの子の一人息子でした。太郎をパリにおいて、岡本夫妻は帰国、息子のいない国において、犬や猫、スズメのこえにも、息子である「あなたを思う」というのが歌の内容です。

犬や猫というのは、一つのたとえであり、「息子に似た青年の後ろ姿を見たときに、息子の古い着物を取り出したときに。「タロー! タロー!」と叫んで走り回りたくなる気持ち」をそのように歌にしたということなのですが、他にも

ふらんすの巴里遠くしてわがのんど裂きつつ呼ぶとも吾子(あこ)に聞(きこ)えじ

「いかに声を振り絞って呼ぼうとも、パリではわが子には聞こえない」と太郎への募る思いを歌に詠んでいます。

岡本かの子は奔放な女性で、夫の他に愛人とも同居していましたが、それでもなお、太郎との別れは、夫や愛人をもってしても、埋められない悲しみであったことがうかがえます。

また、パリで、太郎と別れた際には下のような歌も。

うつし世に人の母なるわれにして手に觸(さや)る子の無きが悲しき

かの子は、手を握るその子が傍にいないことを嘆くのですが、かの子の人生でい通りにならなかったことは、あるいは、太郎との留学による疎遠くらいであったかもしれません。

そのような、心的な苦痛がかの子を「うつし世」に生きる一人の母であると、改めて自分自身に自覚させるものともなったのでしょう。

きょうの日めくり短歌は、「かの子忌」にちなんで、岡本かの子の短歌とその代表作をご紹介しました。

これまでの日めくり短歌一覧はこちらから→日めくり短歌




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