斎藤茂吉

『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』 永井ふさ子が記した恋愛の記録

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『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』というのは、斎藤茂吉との交流をつづった、永井ふさ子氏の著書のタイトルです。

永井ふさ子氏は、斎藤茂吉の恋人であった人です。

『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』の内容と、永井ふさ子氏についてご紹介します。

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『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』

 

『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』は、斎藤茂吉との交流をつづった、永井ふさ子氏の著書のタイトルです。

その通り、斎藤茂吉の手紙を永井氏が公開、さらに茂吉との婚外恋愛における交際の内容と次第を明かしましたので、短歌界のみならず、大きなスキャンダルとなりました。

もちろん、斎藤茂吉の死後のことですので、茂吉自身はそれを知りません。

永井ふさ子と斎藤茂吉が恋愛関係に

永井ふさ子は、斎藤茂吉の歌の弟子として交際を始め、その後、男女の関係となりました。

茂吉はもちろん結婚をして、妻と子供がいましたので、永井氏との関係は、婚外恋愛、今の言葉でいう不倫ということになります。

不倫ですので、思うようにはなかなか会えない。そこで、斎藤茂吉が永井氏に手紙を送るようになったのです。

その際茂吉は、「必ず焼き捨てるように」といいました。

「手紙は二人ぎりで、絶対に 他人の目に触れしめてはなりませぬ。そこでお読みずみにならば必ず灰燼にして下さい。そうして下され ばつぎつぎと、心のありたけを申しあげます、さもないと心のありたけは申しあげられませんから、虚偽になります。これを実行して下さいますか、いかがですか、わが心君に沁みなば文等(ふみら)をば焔(ほのほ)のなかにほろぼしたまへです」。

その後、斎藤茂吉は永井ふさ子に150通以上の手紙を送りましたが、永井ふさ子は、師でもある茂吉の言いつけに、必ず手紙を焼くようにしたといいます。

そうして、最初の30通は失われてしまいましたが、大歌人であり、先生であり、大切な恋人からの手紙でもあり、とても、焼き捨てるには忍びない。

永井自身は、「焼却した後の言いようのない寂しさ」とそれrを述べていますが、その後は、手紙をひそかに保管するようにしていたのです。

そのため、斎藤茂吉の手紙が、後になって公開されることとなってしまいました。

 

斎藤茂吉の手紙

斎藤茂吉の愛の手紙として、よく引用されているのは下の部分です。

「ふさこさん!ふさこさんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理をしてはいけないと思います。玉を大切にするようにしたいのです。ふさこさん、なぜそんなにいいのですか」(昭和11年11月26日)

 

別な日、

「ふさこさん、・・・ああ恋しくてもう駄目です。しかし老境は静寂を要求します。人褥は他力也です。忍耐と恋とめちゃくちゃです・・・あゝ恋しいひと、にくらしい人」(昭和11年11月29日)

他人が見ると、驚くような手紙ですが、当事者によるふさ子にしてみれば、おそらく同じような気持であったと思われます。

茂吉がいずれも「ふさ子さん」と呼び掛けているところから、手紙というより、今の電話をかけて話しているような、そのような気持ではなかったでしょうか。

手紙というよりは、半分はおしゃべりであったのでしょう。推敲を重ねる短歌や他の著作のように、内容をよく考えて書くような類のものではなかったからです。

それもあって茂吉は「焼き捨てるように」とふさ子に頼んだに違いありません。

 

斎藤茂吉の愛の結末

この恋愛の顛末はどうなったかというと、結局二人が結婚という形で結ばれることはありませんでした。

ふさ子は、結婚を望んでいましたが、茂吉はその話になると、黙って涙を流し続けたといいます。

結婚できないとわかると、ふさ子は、他の男性と見合いをして婚約をしたりしますが、どうしても茂吉と離れることができない。

そして、別れたり再会したりを数年にわたって繰り返していましたが、戦争が深まり、茂吉が山形へ、ふさ子は故郷の松山住まい、ということで、そのまま間が途切れたというのが結末です。

その後の、永井ふさ子は、あれほど才能を見せていた、短歌もやめてしまい、生涯独身を通しました。

永井自身は

「茂 吉 ほ ど の 人 に 愛 さ れ た 以 上 、 外 の 人 の 愛 を 受 け 入 れ ら れ な い」

とも述べていますが、茂吉が忘れられなかったことももちろんありますが、茂吉との恋愛で、大きな傷を負ったことも要因だと思います。

永井ふさ子の短歌はこちらで読めます

永井ふさ子が”愛の手紙”を公開へ

永井は、そのうち茂吉の死後、その手紙を公開したいと考えた、その理由は、恋文ではあっても、歌人の手紙ですので、短歌の話題も相当多くあります。

要するに個人の物などではなく、資料価値がひじょうに高いと考えてもいたのでしょうが、

「先生の死を知って、魂のぬけがらになった私に長く虚しい年月が流れました」

と書いてみるところを見ると、茂吉の死によって生じた新しい葛藤、気持ちのやり場がなかったこともあるのでしょう。

そのため、それを公開したいということを、まず、茂吉の弟子であった佐藤佐太郎に相談しました。

しかし、他の茂吉関連の書籍を出版準備中であった佐太郎は、「10年待ってくれ」といったのだそうです。

そして、ふさ子は、その通り茂吉の十回忌にこれらの手紙を公開。さらに、それに当時の状況と永井自身の心境を自らが書き添えて出版に至ったのです。

ふさ子は、その後も母を看取り、たった一人のまま83歳で亡くなりました。

晩年のふさ子の言葉

「茂吉から受けた愛のよろこびは一瞬のように短かったのに反して、その後の耐え難かった苦悩を思うと、よくぞ生きのびてきたと思う」

という永井の言葉がすべてを物語っていると思われます。

この本自体は、今は絶版で古本でしか手に入りませんので、内容をかいつまんでご紹介しました。







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