みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
島木赤彦の教科書や教材にも取り上げられている代表的な短歌作品の現代語訳と句切れと語句を解説します。
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みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
読み:みずうみの こおりはとけて なおさむし みかづきのかげ なみにうつろう
作者と出典
島木赤彦 『太虚集』(1926年)
現代語訳と意味
諏訪湖の張り詰めた氷は解けているが、まだ寒さは厳しい。三日月が湖面の波に冴え渡る影を映している
句切れと表現技法
- 3句切れ
語句と文法
- みずうみ…湖 ここでは諏訪湖のことを指す
- 寒し…「寒い」の文語 基本形
- 三日月の影…「影」が4、5句部分の主語になる。「影」のあとに、主格の助詞「は・が」」または「の」が省略されている
- うつろふ…読みは「うつろう」 意味は「光や影などが映る」こと
解説と鑑賞
島木赤彦の歌集『太虚集』より、大正13年の作品。
「諏訪湖畔」との題名がある。
赤彦が晩年を過ごした家、「柿蔭山房」の庭にはこの歌の歌碑がある。
上句は体感的な寒さ
歌は作者が住まう、諏訪湖の厳しい寒さと自然の姿を表している。
上の句は、氷が解けたからといっても続く寒さを「溶けてなお寒し」とストレートに表現する。
これがまず、この歌の主要な部分である歌の主題であり、散文ならありきたりのようだが、短歌における意図した「単純化」の技法が用いられている
写生の技法の下句
上の句は体感的な寒さを述べているのに対して、下の句は視覚的な情景に移る。
写生の技法を用いて、目に映るありのままの諏訪湖の水の様子を述べている。
氷が解けたので、湖の表面は、氷ではなく、湖の水となっているわけだが、そこに月の光が移っている。
短歌では「つきかげ」というものは、月の光を指すので、三日月の影というのは、すなわち月の光のことである。
その月の光は、寒さで澄んだ空気の中で冴えわたる光を放っている。
作者の主観的に感じる寒さが、視覚的に増強されて、詠むものに伝わるものとなっている。
島木赤彦の寂寥相
島木赤彦は、短歌における「寂寥相・幽音相」ということを説いた。
この歌は、自然と一体化を目指しながらも、自然のの力強さと静けさに相対する人間の無常観にも似た独特の感興を伝えており、それが作者の言う寂寥相を伝えていると思われる。
島木の言う寂寥相とは、簡単に言うと「自然と人間が一体となった歌の境地」である。
それはまた、赤彦の故郷である諏訪の厳しい自然に根差して生まれたものであった。
諏訪湖の氷結 島木赤彦の随筆より
作者自身の随筆「諏訪湖畔冬の生活」に諏訪湖の氷結について下の部分がある。参考資料としてあげておく。
「十二月の末になると、湖水が全く結氷するのである。湖水といふても、海面から二千五百尺の高所にあるのであるから、そろそろ筑波山あたりの高さに届くであらう。湖水よりも猶なお高い丘上の村落は厳冬の寒さが非常である。朝、戸外に出れば、鬚ひげの凍るのは勿論もちろんであるが、時によると、上下睫毛まつげの凍著を覚えることすらある。斯様かような時は、顔の皮膚面に響き且つ裂くるが如き寒さを感ずる。」
この文章によると、高度の高い諏訪の冬の寒さがいかほどであったかがわかる。
島木赤彦とは
1876-1926 明治9年12月17日生まれ。長野師範卒。故郷長野県の小学校教員,校長をつとめながら、伊藤左千夫に学ぶ。大正3年上京し、斎藤茂吉らと「アララギ」を編集。「万葉集」を研究し、作歌信条として写生道と鍛錬道を説いた。大正15年3月27日死去。51歳。本名は久保田俊彦。旧姓は塚原。号は柿の村人など。著作に「歌道小見」歌集に「切火」「氷魚(ひお)」「太虗(たいきょ)集」等。