白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり 長塚節の歌集『鍼のごとく』にある代表作短歌を解説、鑑賞します。
国語の教科書や教材に取り上げられる作品です。
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白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
読み:しらはにの かめこそよけれ きりながら あさは つめたき みずくみにけり
作者と出典
長塚節 歌集『鍼のごとく』
現代語訳と意味
白埴の瓶こそ、(秋海棠を活けるのに)ふさわしい。霧がたちこめる朝に冷たい水を汲み入れたことだ
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句切れと表現技法
- 2句切れ
- 係り結び 「こそ…けれ」
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語句と文法
- 白埴…白い釉薬を塗って焼いた陶器のこと
- 瓶…読みは「かめ」 花瓶のこと
- 霧ながら…「ながら」は「……のままで」「……のままの状態で」の意味
水汲みにけりの品詞分解
水を | 「を」の係助詞が省略されている |
汲み | 汲む(基本形)の連用形 |
に | 完了の助動詞「ぬ」の連用形 |
けり | 詠嘆の助動詞「けり」の終止形 |
解説と鑑賞
「鍼のごとく」の冒頭の有名な一首。
「秋海棠の画に」の詞書がある。
藤沢周平の小説『白き瓶』のタイトルともなっている。
絵を見て詠んだ画讃の短歌
この歌は、実景ではなく、福岡の九州大学附属病院に入院中に、画家、平福百穂(ひらふくひゃくすい)から届いた絵の画讃の作品。
平福百穂は日本画家でアララギの歌人。斎藤茂吉らとも深い交流があった人物で、この絵を長塚節は主治医に贈り物とした。
「白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり」の歌の中には、絵の主題として描かれている秋海棠の花の名はない。
秋海棠の花は、桃色であるため、白い花瓶に映えるという解説も見かけるが、必ずしも「花を生ける水」としなくてもよいと思われる。
歌の主題はあくまでも、「瓶」にあって、白い陶磁器の静謐と触感の滑らかさ、その肌の美しさが「白埴の瓶」と解するべきだろう。
「霧ながら」の意味
この歌でよく取り上げられるのが、3句「霧ながら」の部分で、この部分の理解がポイントとなる。
「ながら」の辞書での意味
「…ながら」は、辞書によると
名詞、動詞型活用語の連用形、形容詞型活用語の連体形などに付く。内容の矛盾する二つの事柄をつなぐ意を表す。…にもかかわらず。…ではあるが。
とされるところで、「霧ながら」は、「霧にもかかわらず」「霧であるが」というのが、元々の「ながら」の意味となるが、この場合は、霧との対立をせず「霧の中で」と訳するのが良いと言われている。
「霧の中で」の訳
アララギの歌人、鹿児島壽蔵は、
「『霧ながら』は明確に口訳し兼ねるが、この気持は、霧と一しよに、霧のふる中でといふ位ではあるまいか。」
と述べている。
また、藤沢周平によると
霧が出ていて、視界は曇っている。でもその中にあえて歩みだし、朝の水をくむ。
としている。
「霧ながら」の意味するところ
白磁の花瓶が素晴らしいので、なんらかの花を活けて飾ってみたいと思い、霧が出ている中であえて水を汲んだという意味でもいいが、そもそも白磁の花瓶には霧も似合わないでもない。
霧の中で手に取る花瓶は、一層の風情がある、そのために「霧ながら」を書き加えたのではなかったろうか。
「朝はつめたき」
空気の冷えた霧の朝で、また、水も冷たくいっそう済んで感じられる。
その水を繊細な肌の白磁の瓶に汲むという一連の行為は、瓶の美しさにまして美しい光景である。
瓶の美しさが、作者に一連の行為を取らせ、瓶に合うべく、歌の情景が作り出されたのであろう。
藤沢周平『白き瓶』より
藤沢周平の『白き瓶-小説長塚節』には、長塚節をこの瓶になぞらえた部分がある。
聖僧のおもかげがあるといわれた清潔な風貌とこわれやすい身体を持っていたという意味で、この歌人はみずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかも知れないのである。
長塚節について
長塚節 1879‐1915(明治12‐大正4)
歌人,小説家。茨城県生れ。父源次郎は地主で県会議員を務める村の有力者であった。その長男に生まれたが,病弱のため水戸中学を中退。1900年正岡子規の門に入り,子規没後は《アララギ》派の中心の一人となる。
節の歌は自然の鋭い観察と繊細な感覚表現に特徴があり,晩年になると,写生を基調に清澄にして気品の高い調べと,孤愁の哀感を余情とする歌風を完成した。写生の方法による自然と現実の描写の極北を示した。短歌の他にも小説『土』が有名。