馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひみるべし 長塚節  

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馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひみるべし 長塚節

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馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひみるべし 長塚節の序詞を使った短歌の解説です。

句切れや表現技法、文法の解説と、鑑賞のポイントを記します。

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馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひみるべし

読み:うまおいの ひげのそよろに くるあきは まなこをとじて おもいみるべし

作者と出典

長塚節 『長塚節歌集』

現代語訳

馬追虫の小さなひげをそよそよさせながらやって来る秋を、眼を閉じてじっと思ってみるのがよいのだ

句切れと表現技法

  • 句切れなし
  • 「馬追虫の髭の」部分は序詞

文法と語句の解説

  • 馬追虫…キリギリス科の昆虫 スイッチョとも呼ばれる
  • そよろ…[副]風が静かに吹くさまや、物が軽く触れ合ってたてる音を表す語
  • まなこ…「目」の古語  「目 (ま) の子」の意
  • べし…《助動》話し手・書き手が、述べる事柄について、必ずそうなるはずだ、理の当然そうでなくてはならないという気持で判断する態度を表すのに使う。

解説と鑑賞

長塚節の「秋の歌」と題する一連の中の、代表作短歌の一つとしてよく知られている作品。

主題は、馬追虫も秋でもなく、「秋の気配」を表そうとしたものである。

長塚節の繊細な感性が良く表れており、細かいものへの視点は独独のものがある。

「馬追虫の髭の」は序詞

「馬追虫の髭の」は「そよろに」を導き出す序詞となっている。

もちろん、馬追虫は秋の虫でもある。

「そよろ」は「そよそよ」の意味の古語であるが、そのように小さな虫の髭をそよがせるかのように、ひそかにやってくるのが「秋」という季節であるという節の感じ方がある。

「まなこを閉じて」というのは、そのあくまで想像でということなのだが、「虫の髭をそよがせるもの」というのはミクロの視点で想像して描き出せるもので、節の独特の感性がうかがえる。

序詞の構成の一連の作品

一連の作品には他に秋の風物を同様に用いた下の作品が含まれる

小夜深にさきて散るとふ稗草(ひえくさ)のひそやかにして秋さりぬらむ
植草ののこぎり草の茂り葉のいやこまやかにわたる秋かも
目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばらつばらに
―長塚節 「秋の歌」

「小夜深にさきて散るとふ稗草(ひえくさ)の」は「ひそやかにして」にかかる序詞、「草ののこぎり草の茂り葉の」は「こまやかに」の序詞で、「馬追虫の」と同様に、意識して序詞を用いた構成の連作となっている。

一首の主題は秋の「気配」

歌人の柴生田稔は、「ここで用いられている序詞は、いわゆる有心の序である。」とした上で、以下のように説明、

二首目の「植草ののこぎり草の茂り葉の」は「こまやかに」を、三首目の「栗の木のなりたる毬の」は「つばらつばらに」を、五首目の「馬追虫の髭の」は「そよろに」をそれぞれ導き出す序詞の役割を果たしつつ、一方で「のこぎり草」「栗の毬」「馬追虫の髭」それぞれがイメージを主張して主意と深くかかわるというかたちをとっている。〈気配〉という不確かなものに、実体的な手触りを与えるこれは有効な方法であった。

つまり、柴生田の見方だと、主題は、秋の風物ではなく、秋の訪れる「気配」そのものである。

「馬追虫」その他のアイテムは、秋の気配を感じさせる事象として、一首に組み込まれている。

「馬追虫の髭」の象徴するもの

紅葉などの秋の事象を詠むのではなくて、「秋の気配」という、感性でしかとらえられない不確かな現象をどう表すかに作者長塚節の工夫と苦心がある。

「馬追虫の髭」という従来では”目に見えない”ものを、同じく”目には見えない”秋という共通点を想起させながら、「まなこを閉じて」といっている。

この「まなこを閉じて」には、虫の髭と同様、秋の気配そのものは目に見えるものではないという、示唆が含まれているだろう。

結句「べし」はやや強い言葉で、そのようにするのが秋を感得するのには最良の方法であり、感性によってしかとらえられないのが季節の到来であるという作者の主張が見られる。

柴生田稔の評

長塚節の試みの連作でもあるこれらの歌を、柴生田は高く評価している。

「少し視点を変えて、実質的な言葉を意味から見て行くと、結局この歌で働いているのは観念であり、理智であり、ただ成長に解けた情趣によって透間なく真実の裏打ちがなされているのであって、素朴に現実に切りこむのではなく、非常にきわどい巧みの上に成り立った歌だとも言えよう。」 ―『鑑賞日本現代文学』より

 

長塚節について

長塚節 1879‐1915(明治12‐大正4)

歌人,小説家。茨城県生れ。父源次郎は地主で県会議員を務める村の有力者であった。その長男に生まれたが,病弱のため水戸中学を中退。1900年正岡子規の門に入り,子規没後は《アララギ》派の中心の一人となる。

節の歌は自然の鋭い観察と繊細な感覚表現に特徴があり,晩年になると,写生を基調に清澄にして気品の高い調べと,孤愁の哀感を余情とする歌風を完成した。写生の方法による自然と現実の描写の極北を示した。短歌の他にも小説『土』が有名。




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