織田信長は最期に「人間五十年」で始まる幸若舞「敦盛」を舞ったとされています。
この「人間五十年」が織田信長の辞世の句ともされています。
きょうの日めくり短歌は「本能寺の変」にちなみ、織田信長の辞世の句の部分と意味をお伝えします。
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本能寺の変とは
今日6月2日は本能寺の変の起こった日。
織田信長が明智光秀の謀反により、本能寺にて自害をしたとされる日です。
明智光秀は織田の家臣でしたが、突然、就寝中の信長を襲ったため、信長は予期せぬ死に面することとなったのです。
いつ打たれるかわからない戦国の世ではありますが、まさか側近の明智光秀に寝込みを襲われるとは、思ってもいなかったに用いありません。
織田信長の辞世の句「敦盛」
テレビドラマなどでは、よく織田信長が、寝間着の白装束で舞を舞うシーンがあります。
その時の舞の演目が幸若舞「敦盛」というものです。
その部分、
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
読み方:じんかんごじゅうねんげてんのうちをくらぶればゆめまぼろしのごとくなり
「人間」は「にんげん」ではなく、「じんかん」と読みます。
あまり聞きなれない言葉ですが辞書によると
人の住んでいる世界。世間。にんげん
の意味です。
「下天」の読みは「げてん」。
神様のいるような「天上=上天」ではなくて、人間の世界のことです。
「敦盛」の句の意味
全体の意味は、
人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだ
というものです。
辞世の句とはいっても、能の歌詞ですので、信長が自ら作ったというものではありませんが、死に際して、内容がマッチしていたといえます。
さらに、舞の歌詞ですので節がついているため映像化の際は効果的なめ、「信長の辞世」として広まったものと思われます。
他に、信長の詠んだ短歌や俳句といったものは残されてはいないようです。
明智光秀の辞世
一方、信長を打った明智光秀は、
心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ
との歌が、辞世の句として伝えられています。
本能寺の変で天下を取ったかと思われた明智光秀は、織田信長の臣下豊臣秀吉に攻められた「山崎の戦い」後に逃げ延びる際、落ち武者狩りで命を落とします。
織田信長が享年48歳、明智光秀が56歳、戦国武将の命は、文字通り「人間五十年」というくらいに短かったのですね。
きょうの日めくり短歌は、本能寺の変にちなみ、織田信長関連の「敦盛」をご紹介しました。
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