七夕の和歌 古今集・新古今集の有名な歌  

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七夕の和歌 古今集・新古今集の有名な歌

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七夕の和歌は万葉集の頃から詠まれており、古今・新古今和歌集にも多数収録されています。

きょう七夕の日めくり短歌は、古今集と新古今集とその時代の七夕歌をご紹介します。

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古今和歌集の七夕の和歌

七夕伝説は元々中国から伝わったもので、万葉集の時代には、七夕を題材にたくさんの歌が詠まれました。

この記事では、その後の時代の代表的な勅撰歌集『古今集』とその周辺の短歌をご紹介します。

万葉集の七夕歌については
七夕の和歌 万葉集- 柿本人麻呂 山上憶良 建礼門院 藤原定家 紀貫之

天の川浅瀬しら浪たどりつつ渡りはてねばあけぞしにける

作者:紀友則 古今集 177

意味と現代語訳

天の川の浅瀬の白波を知らなかったので、川辺をたどりながら渡り終えないでいると、夜が明けてしまった

解説

「しら浪」は、「知ら」の掛詞となっており、古今集の時代の技巧が取り入れられています。

 

今宵こむ人にはあはじ七夕のひさしきほどに待ちもこそすれ

作者と出典

素性法師 古今和歌集 181

意味と現代語訳

今夜来るあの人には逢わないでいよう。七夕のように次に逢うまで一年も待つことになってしまうから

解説

「あはじ」までで、作者の意思を示しています。合わない理由が、それ以下の「七夕の…」の部分にあります。

牽牛と織姫が会えないことと同時に、相手への強い思いを示唆しています。

 

秋風の吹きにし日より久方の天の河原にたたぬ日はなし

作者と出典

よみ人しらず 古今和歌集 173

意味と現代語訳

秋風が吹いた秋の日から、天の川の河原に風が立たない日はない

 

狩り暮らし七夕つめに宿からむ天の川原に我は来にけり

作者と出典

在原業平  古今和歌集

意味と現代語訳

狩りをして日が暮れたので、七夕姫に宿を借りよう。天の川の河原に私が来たので

解説

在原業平の七夕伝説に題材をとった歌。

この歌には、「これたかのみこのともにかりにまかりける時に、あまの川といふ所の川のほとりにおりゐて酒などのみけるついでに、みこのいひけらく、かりして天の河原にいたるといふ心をよみて盃はさせ、といひければよめる」の詞書がある。

「天の川」という地名のところに、惟喬親王(これたかみこ)のお供で狩りに来た折、親王に「天の河原の歌を詠め」と言われて七夕を連想して詠んだ歌。

「七夕つめ」の「つ」は格助詞で「め」は「女」。「宿からむ」の「借らむ」は、「狩り」と掛けている。

 

 

なげきても逢ふ瀬をたのむ天の河このわたりこそかなしかりけれ

建礼門院右京大夫の七夕の有名な一連の和歌。

意味は

嘆きながらも逢瀬を頼む天の川のこの橋の渡りの何と悲しいことよ。私の恋人は亡くなってしまってもう会えることもない。

 

壇ノ浦の闘いで恋人が亡くなった建礼門院は、七夕伝説の悲哀を自分の身にひきつけて歌いました。

 

月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる

彦星の 行き合ひの空を ながめても 待つこともなき われぞかなしき

なげきても 逢ふ瀬をたのむ 天の河 このわたりこそ かなしかりけれ

なにごとも かはりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星合の空

世の中は 見しにもあらず なりぬるに 面変りせぬ 星合のそら

切々とした思いが伝わってきます。

 

新古今集の七夕歌

新古今集とその時代の七夕歌には、下のような和歌があります。

わくらばに天の川波よるながら明くる空にはまかせずもがな

作者は徽子女王( きしじょおう)『新古今和歌集』

意味は、

天の川の川波が寄るではないが、めったにないことに両星の相寄る今夜は夜のままで、明けゆく空の勝手にはさせないでほしいものだ

「寄る」は「波」と「星」の両方に掛けられています。

 

七夕の門渡る舟の梶の葉に幾秋書きつ露のたまづさ

作者は藤原俊成

読みは、「たなばたの かどわたるふねの かじのはに いくあきかきつ つゆのたまづさ」

意味は、

彦星が天の川の川門を渡る舟の楫(かじ)、同じ梶の葉に私織女星は梶の葉に幾秋書き続けたことであろうか。露でつづったはかない手紙を

「たまづさ」は手紙のことで、俊成にしては、驚くほどロマンチックな和歌で、これもやはり七夕伝説がベースになっているからでしょう。

 

一年に一夜と思へど七夕の逢ひ見む秋のかぎりなきかな

作者:紀貫之

意味は

一年に一度と思ってみても、七夕の逢瀬の秋は限りがないものだ

 

かささぎのより羽の橋も心せよ七夕月の比待ちえたり

作者:藤原家隆『蔵玉集』

「七夕月(たなばたづき)」は、7月の異称です。

 

七月の呼び名といえばもう一つ

七夕の逢ふ夜の空のかげみえて書きならべたる文ひろげ月

作者は藤原有家。

結句の「文ひろげ月」というのも、7月の呼び名です。

今の「文月」はここから来たと言われています。

 

久方の棚機つ女(め)は今もかも天の河原に出で立たすらし

良寛和尚の七夕に題材をとった歌。

意味は「織姫は今も彦星を待って、天の川の河原に出て立っているようだ」というもので、七夕伝説を詠んでいます。

 

下の二首は、七夕の夜が明けて、朝になった場面を詠んだものです。

 

朝戸あけてながめやすらむ織女はあかぬ別れの空を恋ひつつ

こちらは、七夕の夜が明けて朝になったところを詠んだ歌。

後撰集249、作者は紀貫之です。

「ながめやすらむ」は 疑問の「や」、「す」は「する」の動詞。「らむ」が推量。

意味は

7月8日の朝、織姫は家の扉を開けて眺めているのだろうか。名残惜しくも別れたあの空の向こうにいる牽牛をなお恋いながら

おそらく、作者紀貫之も同じ思いで、8日の朝の空を眺めたのでしょう。

 

七夕の和歌は「七夕伝説」をベースに古くからたくさんの歌人たちに詠まれています。

夜空に光る星に思いを馳せる七夕伝説が、昔から人々の心をひきつけるものであったことが、和歌の歴史からも十分伝わってくるのです。




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