寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光 作者北原白秋のよく知られた歌です。
半夏生のきょうの日めくり短歌は、北原白秋の蛸の短歌をご紹介します。
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半夏生とは
半夏生とは何かというと、半夏(はんげ)という薬草が生える頃というのが、その意味です。
半夏生の日は、正確には天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日とされ、年によって、7月1日、または7月2日にあたります。
そして、この頃までには田植えを終えるのが良いとされ、その稲がよく根付くようにと、足のたくさんある蛸を食べるのが習わしとなっています。
北原白秋の初期の歌集『雲母集』には、海辺で詠んだ一連の短歌があり、その中には、蛸の短歌でよく知られた作品があります。
寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光
読み:さびしさに うみをのぞけば あわれあわれ たこにげてゆく まなつのひかり
現代語訳と意味
寂しい気持ちを抱えて海をのぞき込むと、おやおや、潜んでいた蛸が逃げていくよ、真昼の光の中で
句切れと修辞法
- 句切れなし
- 体言止め
一首の解説と鑑賞
北原白秋の歌集『雲母集』より、海の風景を詠んだ「庭前小景」一連の中の一首。
その頃白秋は姦通事件を経て、人妻であった松下俊子と家族と同居、海辺での暮らしでこころの平穏を取り戻している時期の歌となる。
寂しい気持ちで、思わず海の底をのぞき込んだところ、何もいないと思った岩陰に蛸がいて、さっと逃げて行ったという情景と、それに伴う心境を表す。
「あはれあはれ」の意味
「あはれ」の意味は、感動詞「ああ。あれ」。
「あはれあはれ」で、「おやおや」などの意味になる。
蛸がいたことで寂しさが払しょくされていく様子が読み取れる。
その転換に「あはれあはれ」の言葉が入っており、字余りの6文字であるところにも効果がある。
結句「真昼の光」の意味
結句の「真昼の光」には、短歌の表現法である「省略」があり、海に差す光だけではなく、渚と海辺の辺り一面の景色を暗示する。
覗いていた海底から視線を移動し、目に入る光の風景に伴って、作者の寂しい心持の心境の変化がある。
実際に『雲母集』は、恋愛に伴う一連の事件で、打ちのめされていた白秋の心の回復がテーマとなっている。
『雲母集』の他の蛸の短歌
他に『雲母集』蛸の短歌としては 畑の葱と蛸壺を重ね合わせた歌がある。
蛸壺に蛸ひとつづつひそまりてころがる畑の太葱の花
斎藤茂吉への影響
斎藤茂吉は、北原白秋のこの時期の歌を讃嘆、自らもそれに学ぼうとして手紙を送り、白秋の訪ねた三崎を訪問、自らも海辺に題材をとった歌を発表している。
一連の歌
庭前小景
寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光
章魚を逃がし海を覗けば章魚が歩行(あるく)ほかに何にもなかりけるかも
海底の海鼠のそばに海胆(ひとで)居りそこに日の照る昼ふかみかも
動かねどをりをり光る朱海胆(あかひとで)しみらに見れば歩めりにけり
寂しさに手足動かす朱海胆で海胆(なまこ)の上に重なりにけり
北原白秋について
北原白秋 1885-1942
詩人・歌人。名は隆吉。福岡県柳川市生まれ。早稲田大学中退。
象徴的あるいは心象的手法で、新鮮な感覚情緒をのべ、また多くの童謡を作った。
晩年は眼疾で失明したが、病を得てからも歌作や選歌を続けた。歌集「桐の花」「雲母集」他。
―出典:広辞苑他