北原白秋の短歌代表作品 人妻との恋愛事件で官能から法悦へ  

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北原白秋の短歌代表作品 人妻との恋愛事件で官能から法悦へ

2020年11月2日

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北原白秋の短歌代表作品、日本の代表的な詩人である北原白秋は、また優れた歌人でもあります。

北原白秋の教科書に掲載され、広く知られている短歌を含めた短歌をご紹介します。

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北原白秋の短歌代表作品

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11月2日が日本の代表的な詩人、北原白秋の命日「白秋忌」です。

北原白秋の短歌の代表的な作品を、項目別、年代順にご紹介します。

北原白秋の有名な相聞の歌

ひじょうによく知られている、北原白秋の一番有名な短歌は、下の作品です。

君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

恋人と朝に別れる際の雪を歌った作品です。

擬音の清涼感が高い効果をあげています。

初恋を詠ったのが次の作品

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日

 

他によく引用されるのが下の作品です

病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし(ばた)の黄なる月の出

日の光金糸雀(カナリヤ)のごとく顫ふとき硝子に)れば人のこひしき

草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしくて削るなり

クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔

クリスチナ・ロセチはイギリスの女流詩人ロセッティ。「風を見た人」が知られています。

頭巾というのは、三角巾を頬かむりしたような母の姿を指すのでしょう。

・・

教科書に掲載された北原白秋の短歌

教科書に掲載されている代表的な作品は、下のようなものです。

春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕

深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花

それぞれの解説ページで御覧ください。

 

 

北原白秋の恋愛事件の短歌

北原白秋は、隣家の人妻であった、松下俊子と恋愛関係に陥ります。

ひとすぢの香(こう)の煙のふたいろにうちなびきつつなげくわが恋

たれこめて深きねむりに堕つる時わが傍に来り寝る女あり 『桐の花』

当時は「姦通罪」というものがあり、ふたりとも逮捕され、しばらく市ヶ谷の未決監に繋がれることとなります。

この事件は大きな衝撃を白秋に与えましたが、白秋の内面的なものへの志向を加えた優れた短歌が詠まれました。歌集『桐の花』より。

かなしきは人間のみち牢獄(ひとや)みち馬車の軋みてゆく礫道(こいしみち)

大空に円き日輪血のごとし禍(まが)つ監獄(ひとや)にわれ堕(お)ちてゆく

まざまざとこの黒馬車のかたすみに身を伏せて君の泣けるならずや

しみじみと涙して入る君とわれ監獄の庭の爪紅(つまべに)の花

どん底の底の監獄(ひとや)にさしきたる天(あま)つ光に身は濡れにけり

向日葵(ひぐるま)向日葵囚人馬車の隙間より見えてくるくるかがやきにけれ

監獄(ひとや)いでぬ重き木蓋をはねのけて林檎函よりをどるここちに

 

『梁塵秘抄』から摂取した「金色光」の境地

「梁塵秘抄」は、この頃出版され、文学界にも大きな影響を与えました。

そして、北原白秋は、上記の女性と三浦三崎に移り、「梁塵秘抄」の影響が見られる海辺の歌を多く詠んでいます。

帰命頂礼(きみょうちょうらい)この時遥か海雀光りめぐると誰か知らめや

しんしんと淵に童が声すなれ瞰下(みお)ろせば何もなかりけるかも

山峡(やまかひ)に橋を架けむと耀くは行基菩薩か金色光(こんじきくわう)に

寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光

海底(うなぞこ)の海鼠(なまこ)のそばに海胆(ひとで)居りそこに日の照る昼ふかみかも

ひさかたの金色光(こんじきくわう)の照るところ種蒔人(たねまき)三人(さんにん)背をかがめたり

虔(つつま)しきミレエが画(ゑ)に似る夕あかり種蒔人(たねまき)そろうて身をかがめたり

金色(こんじき)の飛沫(しぶき)つめたく天(そら)をうつ大海(だいかい)の波は悲しかりけり

豚小屋に呻(うめ)きころがる豚のかずいつくしきかもみな生けりけり

しんしんと湧きあがる力新らしきキヤベツを内(うち)から弾(は)ぢき飛ばすも

森羅万象(ものなべて)寝しづみ紅(あか)きもろこしの房のみ動く醒めにけらしも

解説記事:
寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光

斎藤茂吉に影響を与えた『雲母集』

斎藤茂吉は、北原白秋のこれらの歌を詠んで触発を受け、北原白秋の訪ねた海辺を自分も訪れるなどして研鑽、その頃の歌作の低迷を脱したと伝えられています。

斎藤茂吉の『梁塵秘抄』摂取は北原白秋『雲母集』を通して行われた

 

かき抱けば本望安堵(ほんまうあんど)の笑ひごえ立てて目つぶるわが妻なれば

人妻であった松下俊子と同棲、『雲母(きらら)集』には、家庭にある幸福も詠まれています。

白秋のもっとも幸せなひとときだったかもしれません。

良寛の鞠を詠んだ晩年の短歌

北原白秋は、短歌の上でも良寛に学んだようで、良寛に心酔。

「良寛の鞠」の実物を譲ってもらって手にしています。

我が籠こもり楽しくもあるか春日さす君が手鞠をかたへ置きつつ

春ひねもす鞠のこもりの音聴くと幽かすかよ吾れの手触たふり飽かなく

春日さす鞠はかなしもうつしとる感光板にうつら影引く

北原白秋は詩では童謡が最も有名ですが、子どもと遊ぶ良寛和尚の姿にも触発を受けていると思われます。

 

白秋の晩年は失明

北原白秋、最晩年の短歌。

照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり

歌集『黒檜』より。

晩年はおそらく糖尿病の合併症と思われますが、その目の病気となり、視力を次第に失います。

しかし「私は寧ろ現在の境涯に於て幸せられてゐる。」と『黒檜』の「巻末に」で述べたとおり、最後まで詩心を失わず、言葉に向かい続けました。

 

北原白秋と短歌集

北原白秋は、初期の外国由来の事物を取り入れた官能的で華やかな短歌から始まりました。

白秋の試作品とも共通するモチーフが多く見られ、白秋に特徴的な個性の最も強く出た作品だと言えます。

そして、私生活上の出来事、恋愛事件を通して内面への傾斜を深めていきました。

それが『桐の花』の短歌です。

出獄してから後、傷心の心を慰めようと、三浦三崎に移った頃の短歌集『雲母集』に入ると、『桐の花』の官能性は脱却。

新しい生活で心の安定を得て、梁塵秘抄の影響を受けながら、法悦の境地を詠み上げます。

晩年の代表作歌集『黒檜』は失明に向かう状態が克明に描かれて胸が痛みますが、その状態でも佳作を続けました。

「言葉の鬼」と言われた北原白秋の命日は11月2日。1942年に57歳の生涯を閉じました。

北原白秋について

北原白秋について

北原白秋 1885-1942

詩人・歌人。名は隆吉。福岡県柳川市生まれ。早稲田大学中退。

象徴的あるいは心象的手法で、新鮮な感覚情緒をのべ、また多くの童謡を作った。

晩年は眼疾で失明したが、病を得てからも歌作や選歌を続けた。歌集「桐の花」「雲母集」他。

―出典:広辞苑他

北原白秋の他の短歌解説

以上、北原白秋の代表作短歌を中心に、北原白秋について紹介しました。




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