風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女  

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風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女

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風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女(かがみのおおきみ)の万葉集の和歌の代表作品の、現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説、鑑賞します。

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風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ

読み:かぜをだに こうるはともし かぜをだに こんとしまたば なにかなげかん

作者と出典

鏡王女(かがみのおおきみ) 万葉集 巻4・48

現代語訳

風をまでも恋しがるあなたはうらやましい。風をまでも来るだろうと待つのならば、何を嘆きましょうか

語句と文法の解説

・だに…・副助詞《接続》体言、活用語の連体形、助詞などに付く。
〔最小限の限度〕せめて…だけでも。せめて…なりとも。

・「恋ふる」…「恋ふ」の連用形

・ともし…「うらやましい」の意味の形容詞

「恋ふ」が格助詞「を」を受け、副助詞「だに」が、下に打消しなどを取らぬ点で、語法的には、破格と言われてきた」(『万葉の歌人と作品』

「来むとし」の品詞分解

来(「く」基本形)+「む」未来の助動詞+「と」格助詞+「し」強意の助詞

句切れと修辞について

  • 2句切れ
  • 反復




 

解説と鑑賞

「額田王(ぬかたのおおきみ)、近江天皇を思(しの)いて作るうた一首」の台詞を持つ「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」の歌に応じたものという説明がある。

人ばかりか風までも恋しい。風をまでも含めて相手が来るだろうと待つ、そのような期待が持てる恋愛ならば何を嘆くことがあるのでしょうか。うらやましい

というのが、この歌の意味するところとなっている。

額田王が「風」を主題としたため、「風」を主体に、二度繰り返している。

この歌の二種類の解釈

この歌には、二種類の解釈があり、一つは、詞書の通りに、額田王の歌に応じた歌という解釈。

「風をだに恋ふる」というのは、恋人のみならず、「風も恋しいと思う」気持ちをいい、先の歌の「秋の風吹く」に対応する。

待っていた相手のはずの君が、秋の風に置き換わって肩透かしとなった額田の歌に対して、「風も恋しいのですね」と反駁、反撃したというもの。

1句に続いて、3句でさらに「風をだに」を反復、風を恋するのなら、すなわち額田の歌のとおり、「風が訪れて満足でしょう」と返したというもの。

意地悪く言うと、「風を恋するなんてうらやましい。あなたの歌の通り、君の代わりにその風がおいでになったのですものね」という返歌となる。

亡き夫藤原鎌足を偲ぶ歌との説

もう一つは、上のようなからかいではなく、額田の詠んだ「近江天皇」に対して、鏡王女の夫、藤原鎌足とは、死別しており、死別した夫を待つことはできないが、「待つ人がいるあなたがうらやましい」と歌の意味を汲んだ説もある。

「風をだに」の反復から、前者の額田王の歌に対する返歌とそのまま取る方をおすすめしたい。

いずれにしても、鏡王女は、額田王の姉とも言われており、仲が極めて良かったため、このようなからかいを含んだような和歌が可能だったのだろうと推測できる。

鏡王女(かがみのおおきみ)について

生年は不明。逝去683年。

万葉集の女流歌人。舒明(じょめい)天皇の皇女・皇妹とも、鏡王の娘で額田王(ぬかたのおおきみ)の姉ともいわれる。

天智天皇に愛され、のち藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の妻。鏡女王。鏡姫王とも記される。

鏡王女の他の和歌作品

秋山の樹(こ)の下隠(がく)り行く水の我こそまさめ思ほすよりは(万2-92)

現代語訳:秋山の黄葉の下に隠れて流れ行く水のように私はあなたから隠れていますが、私の気持ちの方が深くあなたを思っています。あなたの思いよりも。

玉櫛笥(たまくしげ)覆ふを安み明けていなば君が名はあれど我が名し惜しも(万2-93)

現代語訳:玉櫛笥(たまくしげ)が覆うでなく、夜が明けて帰るなんて、あなたはよくとも、私は自分の前が人の噂にのぼるのは惜しいのです。

神奈備(かむなび)の石瀬(いはせ)の社(もり)の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる(万8-1419)

現代語訳:
神奈備の石瀬の森に鳴く呼子鳥よ、そんなに鳴かないでください。私の恋しい心が増すばかりだから。




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