花火は古くからある夏の風物詩の一つ、短歌の題材としても用いられています。
8月1日の「花火の日」のきょうの日めくり短歌は、花火の短歌を近代と現代短歌からご紹介します。
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花火大会の起源
日本最古の花火大会は、江戸時代に八代将軍徳川吉宗が打ち上げた「両国川開きの花火」にさかのぼります。
夏の風物詩である花火は、短歌にはどのように詠まれているのか、近代短歌と現代の歌人の作品からご紹介します。
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青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる途上を君よいそがむ
読み:あをたまの しだれはなびの ちりかかり きゆるとじょうを きみよいそがん
作者:
北原白秋
この短歌の鑑賞
「青玉」というのは、花火の色のことでしょうか。大空に青く丸く光るしだれ花火、その火の粉が散らばって消えていくのがわかる。
美しい花火が消える前に見ようと、心せかれる気持ちで、「さあ、あなた、急ぎましょう」と作者が連れに呼びかけるという情景を詠んでいます。
花火の歌のようですが、一種の恋愛の歌です。
のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり
作者:若山牧水
大正9年に三嶋大社を訪れた牧水が詠んだ歌。牧水は旅の歌人です。
火鉢べにほほ笑(わら)ひつつ花火する子供と居ればわれもうれしも
作者:斎藤茂吉
養子に行った先の東京の斎藤家で、弟妹が花火で遊ぶ微笑ましい様子が描かれています。
その子供たちの中には、斎藤茂吉の後の妻、てる子も含まれていたためでしょう。
病みて臥すわが枕べに弟妹(いろと)らがこより花火をして呉れにけり
こより花火というのは、線香花火のこと。
斎藤茂吉が体調悪く寝ていた時に、弟妹が気を遣ってくれて何かと話しかけてくれたことが、親と離れていた茂吉にはうれしかったのではないでしょうか。
一連の他の短歌
わらは等は汝兄(なえ)の面(おもて)のひげ振りのをかしなどいひ花火して居り
平凡に堪へがたき性(さが)の童幼(わらは)ども花火に飽きてみな去りにけり
花火の短歌―現代短歌より
ここからは、現代に近い時代の花火の短歌をあげます。
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われている
作者は、中城ふみ子。
花火に心を奪われたという解釈もありますが、恋人との交情を花火を背景に描いた印象を持つ人もいます。
中城ふみ子は、奔放な男性遍歴を持っていた女性と言われています。
ただし、歌の上での誇張や自己演出も多くありそうです。
胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音たてて挿す
作者は寺山修司。
「胸にひらく」は、胸元に花火の光が反射するという意味なのでしょうが、それを端的に「胸にひらく」と表現しています。
下句の「ひとりの」で、その花火があたかも内に秘めた情熱のようなものであるかのようです。
遠き空に花火のあがる夜なりしがつらぬきがたきことも知りゆく
作者は、大西民子。
夫との別離を歌にも詠んでいますが、家に戻らなくなってしまった夫への愛情は、やがてこの花火のように遠ざかってしまったのでしょうか。
花火の美しさとはかなさが、作者の心境に引き付けられて詠まれています。
ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが
作者は、永田和宏
夜ではなく、「とおい昼の花火」、それが、「ひとひらのレモン」の比喩となっています。
凝った表現の相聞、恋愛の歌なのです。
手花火が少女の白き脛(はぎ)てらすかなしき夏をわれ痩せにけり
作者は高野公彦。
この歌も恋愛の歌で、美しい肢体の少女へ思いを募らせていく作者、花火を交えて2人の美しい情景が切り取られています。
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり
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読み:はなびはなび そこにひかりを みるひとと やむをみるひと いてならびおり
作者と出典
俵万智 『かぜのてのひら』
現代語訳
花火が続けて打ち上がるその光景に光を見る人と闇を見る人がいて並んでいる
解説記事:
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり【解説】俵万智
花火の短歌まとめ
夏は花火の季節、夜空に、手元に楽しみながら、ぜび歌に詠んでみてくださいね。
きょうの日めくり短歌は、「花火の日」にちなみ花火の短歌をお知らせしました。
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