万葉集の恋の和歌の有名なものにはどんなものがあるでしょうか。
万葉集には、3つのジャンルがあり、雑歌、挽歌、もう一つの「相聞(そうもん)」の歌というのが、恋愛の歌のことです。
万葉集の恋の歌の有名なもの30首より、最初の10首からご紹介します。
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万葉集の恋の和歌・短歌
万葉集は一大恋愛歌集といっても過言ではありません。万葉集の短歌の多く、4割は恋愛の歌です。
直截に恋心を歌う他にも亡くなった人を恋う歌や、カテゴリーは防人の歌であっても、妻や恋人を詠ったもの、そして、必ずしも恋心を歌ったのではないが、相聞の掛け合いの歌もあります。
要は人への情を歌ったものが、ほとんどを占めており、そのため、万葉集は魅力ある歌集となっているともいえます。
万葉集で恋の歌とされているものから、とくに有名なものを30首ご紹介します。
女流歌人の恋の歌は
万葉集の有名な女性歌人の恋愛の和歌10首 大伴坂上郎女,笠郎女,狭野茅上娘子
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
読み:あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
作者
0020 額田王(ぬかたのおおきみ)
現代語訳
紫草の生えているこの野原をあちらに行ってこちらに行って、御料地の番人が見るではありませんか。私に袖を振るなんて
解説
額田王が詠んだ有名な歌で、「野(かまふぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌」との説明文が歌の前についています。
狩りの後の宴会の席での問答歌で、下の歌と併せて「蒲生野問答歌」と呼ばれています。
額田大王は天智天皇の弟の妻だったのを、のちの兄の天皇に嫁いだので、その弟の方に問かけた歌です。
もちろん、宴会の席に置いてのことですので、余興の一つ。問いかけられた大海人皇子(おおあまのみこ)が何と答えるのかの衆目を集めたはずです。
※解説記事は
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王の問答歌
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
読み:むらさきの におえるいもを にくくあらば ひとづまゆえに あれこいめやも
作者
大海人皇子(おおあまのみこ) 0021
現代語訳
匂いたつように美しいあなたを憎いとおもっているのならば、あなたは既に人妻であるのに私が恋焦がれたりするものですか
解説
「皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまへる御歌」とあり、上の額田王の歌に応える歌です。
額田王の美しさを強調するなど、天皇の妻を敬いながら、当意即妙で社交性に富んだ返歌です。
君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く
読み:きみまつと あがこいおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
作者
額田王(ぬかたのおほきみ) 488
現代語訳
あの方をお待ちして、私が恋焦がれている時に、庭前のすだれを動かして秋風が入ってきた。(あなたのおとずれのはかない前兆に過ぎないのに)
解説
「君額田王(ぬかたのおほきみ)の近江天皇を思(しぬ)ひまつりてよみたまへる歌一首」。
この「君」は天智天皇であり、下の鏡女王というのは、妹で共に天皇に嫁いだと言われています。
なので、単なる恋心というよりは、やはり、天皇の寵を受けようと強い思いがあったのでしょう。
※解説記事は
風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
読み:かぜをだに こふるはともし かぜをだに こんとしまたば なにかなげかん
作者
鏡女王 489
現代語訳
せめて風だけでも、あなたに待つ気持ちがあるのはうらやましい。私もあなたのように、風の訪れなりとおいでになるのを待つことができたなら、どうして、こんなにため息をつくことがあるでしょうか。
解説
「鏡女王のよみたまへる歌一首」。
この歌は、女性同士ですが、やはり問答歌である。上の姉の歌に、妹の鏡女王が応える形となっています。
※解説記事は
風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女
吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり
読み:われはもや やすみこえたり みなひとのえかてにすとい やすみこえたり
作者
内大臣藤原 0095
現代語訳
おれは安見児を手に入れたよ。誰もが手に入れかねるものとした、その安見児を手に入れたのだ
解説
「内大臣藤原の卿の釆女(うねべ)安見児(やすみこ)を娶(え)たる時よみたまへる歌一首」。
安見児というのは女性の名前で、この女性は天皇に仕える采女(うねめ)という立場の人で、天皇に結婚を許されたようです。
おそらくは新婚の儀式、今でいう結婚式で詠まれた歌であったと思われます。
力いっぱい喜びを素直に歌った歌です。
足引の山のしづくに妹待つと吾が立ち濡れぬ山のしづくに
読み:あしひきの やまのしづくに いもまつと あがたちぬれぬ やまのしずくに
作者
大津皇子 0107
現代語訳
あなたをまつとて、山のしずくに私は立ち濡れてしまった。その山のしずくに
解説
「大津皇子の、石川郎女に贈りたまへる御歌一首」。
贈答歌で、下に石川郎女の応える歌があります。
万葉の時代は、夫婦や恋人は別居しており、男性が女性の家の門に立って待っているのだが、一番鶏が鳴くまで、家に入れてくれなかったので濡れてしまったという内容です。
つまり恨み言を述べた歌です。というのは、この石川郎女という人は、普通の人ではなくて、教育係のような人だったかもしれないので、このような恨み言を述べることもできたのです。
※解説記事は
あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに 大津皇子
吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを
読み:あをまつと きみがぬれけん あしひきの やまのしずくに ならましものを
作者
石川郎女 0108
現代語訳
私を待つとて、あなたがお濡れになったという、山のしずくに私がなりたいものです
解説
これも、石川郎女の機知に富んだ返答です。「妹待つと」に「吾を待つと」と対応させ、前者が提示した「山のしずく」、「その山のしずくになりたい」というものです。
※解説記事は
吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを 石川郎女
石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか
読み:いわみのや たかつのやまの このまより あがふるそでを いもみつらんか
作者
柿本人麻呂
現代語訳
石見国の高角山に生えている木の木の間ごしに、私が思いを込めて振る袖を彼女は見ただろうか
解説
長歌の反歌として、「石見相聞歌」と呼ばれる有名な一連です。
長歌の最後「夏草の思い萎えて思ふらむ妹が門見む靡けこの山」に続く内容となっています。
「袖を振る」というのは、「魂(たま)ふり」といって、妻の魂を自分の元に乞い迎えて、旅の平安無事を祈ったという、当時の考え方があり、それが惜別の状に転じたものです。
人麻呂の歌の特徴
歌人の岡野弘彦は人麻呂の歌について
感情の凝縮の強さ、また調べの激しさ、これは古代歌謡の持っている力であり、同時に人麻呂の歌の持っている迫力です。
と絶賛しています。
また、山本健吉さんは、この歌を「恋の歌の絶唱」といっています。
※解説記事は
石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹みつらむか 柿本人麻呂
小竹が葉はみ山もさやに乱れども吾は妹思ふ別れ来ぬれば
読み:ささがはは みやまもさやにみだれども あれはいもおもう わかれきぬれば
作者
柿本人麻呂
現代語訳
笹の葉はこの山にさやさやと音を立てているが、私はひたすら集中して愛しい人を思い続けている。今別れてきたばかりだから
解説
笹の葉はざわめいて乱れた音を立てていても、私の心はそれに紛れることもなくただひたすらに、別れてきた妻のことを思っている。
また、「ささのはは/みやまもさやに/みだれども」のサ音とミ音の配置にも注目してください。
※解説記事は
笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂
古にありけむ人も吾がごとか妹に恋ひつつ寝(いね)かてにけむ
読み:いにしえに ありけんひとも あがごとか いもにこいつつ いねかてにけん
作者
柿本人麻呂 497
現代語訳
昔の人たちも私と同じように愛しい人に焦がれて、夜を寝つかれなかったことだろう。
解説
寝付かれないのは人麻呂自身なのですが、それを昔の人に託した表現です。それによって、このような恋心が普遍であるというイメージを作り出すことができます。
夏野ゆく牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思(も)へや
読み:なつのゆく おじかのつのの つかのまも いもがこころを わすれてもえや
作者
柿本人麻呂 502
現代語訳
夏野を行く牡鹿の新しく生えかけた短い角、それではないが、ほんの 短い間でも、私はお前の心を忘れていたことがあったろうか。
解説
夏の鹿の角袋というのは、「短い」という連想を導き出すためのもので、上の二句は「束の間」にかかる序詞の役割をしています。
そのような短い間にも相手を忘れていないということを、どこか確認するかのように歌っています。
万葉集の恋の歌、このページは最初の10首をご紹介しました。