西郷隆盛の辞世の句の和歌「二つなき道にこの身を捨小舟波立たばとて風吹かばとて」  

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西郷隆盛の辞世の句の和歌「二つなき道にこの身を捨小舟波立たばとて風吹かばとて」

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「二つなき道にこの身を捨小舟波立たばとて風吹かばとて」

西郷隆盛は、幕末・明治初期の政治家・軍人、9月24日が命日です。

きょうの日めくり短歌は、西郷隆盛の忌日、南洲忌にちなみ、西郷隆盛の辞世の句の短歌をご紹介します。

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西郷隆盛は何をした人?

西郷隆盛(1827~1877)は幕末の政治家で軍人、何をした人かというと幕末の尊王攘夷派として、西南戦争の指導者となったことでも知られています。

西郷隆盛は明治政府の成立に貢献

江戸時代の終り、幕末には、天皇を擁立する人と、これまでの徳川家の将軍を擁立する人とが対立、西郷隆盛は「王政復古」を唱え、大久保利通と共に徳川幕府を倒し、明治政府の成立に大きな貢献をしました。

特に、勝海舟と会談をして、江戸城で戦争をせずに、城を明け渡す「江戸城無血開城」が有名なエピソードです。

その後、明治政府になってから、封建制度下の特権を失った不平士族(旧武士)の首領となって西南戦争を起こしましたが、政府軍に敗れ自刃しました。

その命日は、9月24日、「南洲忌」と呼ばれます。

 

西郷隆盛の辞世の句・短歌

西郷隆盛の辞世の句として伝わっているものは、下の短歌になります

二つなき道にこの身を捨小舟波立たばとて風吹かばとて

読み:ふたつなき みちにこのみを すておぶね なみたたばおて かぜふかばとて

この和歌は、西南戦争での最期に詠まれたものではなく、1858年の安政の大獄の折に詠んだものといわれています。

同年11月、西郷隆盛は、島津斉彬(しまづ なりあきら)の急死で失脚、鹿児島湾に投身自殺を試みますが、命を取り留め、その後、奄美大島に潜んだという経緯となります。

 

西郷隆盛の辞世の句の背景

この歌の詠まれた背景をもう少し見ていきましょう。

月照と「東目送り」に

この入水の時は、西郷は一緒に入水をした清水寺の月照という僧と共に、日向に向かう小船に乗っていました。

日向に送られるということは、藩を追い出されることで、「東目送り」と呼ばれていました。

政治の志を同じくしていた月照には、この時逮捕の命令が下りており、藩を追い出されることとなったのです。

そこで、月照は死を覚悟、西郷もそれに同意、共に入水を決意したのです。

月照の辞世の句の返歌として

舟の上では、まず、月照が下の和歌2首を詠み、西郷に渡し、西郷はその紙を受け取って読み、懐に入れました。

その際の、月照の辞世の句である和歌は

曇りなき心の月の薩摩潟(がた)沖の波間にやがて入(いり)ぬる

大君の為にはなにか惜(おし)からむさつまの迫門(せと)に身は沈むとも

冒頭の和歌「二つなき道にこの身を捨小舟波立たばとて風吹かばとて」は、それに対しての西郷隆盛の返歌です。

 

西郷隆盛の辞世の句の意味

「捨小船」の読みは「すておぶね」の一つの言葉で、「太平記」にも、この言葉が見られます。

意味は、「頼りない身、かえりみられることのない身」。

その時、島津斉彬が亡くなって追われる身となった自身のことを差していると思われます。

その「捨小船」に「身を捨てる」、すなわち、これから身を投げるとの意味の掛詞があると思われます。

「小舟」はもちろん、今乗っているのが舟ですので、それにも関連があります。

これから海に飛び込んで死ぬというところですので、「志のために生きて進んでいこう」という意味ではありません。

また、「二つなき道に」の「二つなき」は「道」にかかるので、二つとない道、ただ一つの道、ということになります。

そもそもこの歌は、月照への返歌ですので、月照の「身は沈むとも」の和歌の中の決意を悟って、それに対しての「月照殿、あなたと共に行きます」との、返答とも言えます。

よってこの歌の意味は、

もはや二つと道はない、捨てて流される小舟のように寄る辺ない身、波が立とうとも、風が吹こうとも(月照殿、私もあなたと共に身を沈めます)

ということになります。

抱き合って入水した西郷隆盛と月照

歌のやりとりで互いの意を悟った二人は、抱き合って船から海に飛び込みます。

いわば追放である「東目送り」に付き添うために船に同乗していた人は、他に「国臣、重助、付き添いの阪口周右衛門」の3人でした。

彼らは、二人の投身の際、とっさに何が起きたかわからなかったといいますので、西郷と月照の間では会話は交わされず、この歌のやりとりが、二人の最後の合図であったのでしょう。

抱き合ったまま引き上げられた西郷と月照でしたが、月照は絶命、西郷は介抱されて蘇生、二人はともに、死んだこととされて藩に報告されました。

その後、西郷は奄美大島に逃れたというのが、西郷隆盛の辞世の句の和歌をめぐる一連の経緯となります。

史実の部分は、以下の本に拠ります。

きょうの日めくり短歌は、西郷隆盛の辞世の句の和歌とその意味をご紹介しました。

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