短歌・和歌

三浦綾子の短歌 婚約者前川正との死別時の絶唱

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三浦綾子さんは、作家になる前は、婚約者の前川正氏、後の夫君の三浦光世氏共に、アララギに投稿していた歌人です。

きょう10月12日の日めくり短歌は、三浦綾子さんの命日にちなみ、、三浦綾子さんの短歌をご紹介します。

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三浦綾子の短歌

三浦綾子さんは北海道の作家、雑貨店の店主をしていましたが、その傍ら書き始めた小説『氷点』を朝日新聞の懸賞小説に応募、入選をして以後作家として活躍されました。

しかし、三浦綾子の文学は、それ以前の結核闘病中のアララギへの投稿から始まっています。

短歌が三浦文学の出発点でした。

 

三浦綾子の短歌史

旧姓は堀田綾子。三浦さんは学校の先生をされていましたが敗戦を迎え、婚約に至りますが、そこで肺結核を発病します。

その後は病気は進み13年間を仰臥したまま過ごします。

病名は脊椎カリエス。当時のカリエスはギプスベッドというものに、身を横たえて、動かずに療養するのが治療法でした。

療養仲間として知り合ったのが、前川正氏。

医学部の学生でもあった前川氏は、同じく結核にかかり、綾子と同じ北海道大学で療養をしていました。

前川氏が、アララギの同人であったのがきっかけで、三浦綾子さんも短歌を詠むようになります。

「アララギ」投稿期間は、1949年から61年まで。その後、結婚した三浦さんは、短歌を詠むことはなく、作歌に転身しました。

その頃の三浦綾子の短歌をご紹介していきます。

三浦綾子の短歌

『道ありき』の発病後の短歌から、時間順に辿っていきます。

湯たんぽのぬるきを抱きて目覚めゐる このひと時も生きてゐるといふのか

極量の2倍を飲めば死ねるといふ 言葉を幾度か思ひて今日も暮れたり

そして、上の前川正さんと出会い、次第に心を通わせることとなります。

恋人前川正さんとの出会い

導かれつつ叱られつつ来し二年何時しか深く愛して居りぬ

相病めばいつまでつづく倖ならむ唇合わせつつ泪こぼれき

互いに病む中でも、お互いの存在に大きな慰めを得たことはどんなにか幸せだったことか。

しかし、その前川さんが、先に亡くなってしまうのです。

前川正さんの短歌「笛の如く鳴り居る胸に汝を抱けば吾が寂しさの極まりにけり」は、自らの悲しい運命を予感していたかのようです。

三浦綾子さんの歌、

妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より

は、その時の絶唱です。

前川正さんの死と別れ

君が逝きし午前一時を廻らねば眠られぬ慣ひに一年過ぎつ

耳の中に流れし泪を拭ひつつ又新たなる泪溢れ来つ

綾子さんは、ギプスベッドで動けないまま、涙をぬぐって夜を明かしました。

しかし、そのような綾子さんにも、思いもかけない出会いが待っていたのです。

将来の夫 三浦光世さんと出会う

後に夫となる三浦光世さんは、前川正さんによって洗礼を受けた綾子さんを、教会の縁で見舞ったことがきっかけでした。

まなざしも語る言葉も亡き君に似て三浦さんは清しく厳し

どのような未来になるかはわからねど二人のみに通ずる言葉も出来ぬ

そして、見舞いと手紙の文通を重ね、その後、短歌には次の歌が見られます。

「信仰で頑張れ」と遺言し給ひし君よわたしは人を愛しました

13年寝たきりであった、三浦綾子さんは、奇跡的に脊椎カリエスから回復。

起き上がり歩けるまでになって、三浦光世さんと婚約の後、結婚します。

拍手されてゐるわたしたち婚約のしるしの聖書を取り交しつつ

降る雪が雨に霰に変る街を歩みぬ今日より君は婚約者

そして、結婚後の綾子さんは、短歌をやめてしまうのです。

これまでの短歌を見てくると、とても残念と思いたくなりますが、そうではありません。

やがて、綾子さんは小説に自らの道を見出し、日本中の人に名を知られる作家となるのです。

終りに

三浦綾子の人生の変転が、これらの短歌を詠んだことによって、つぶさに記録されるところとなりました。

三浦さんの文学の出発点が短歌であった良かったと思わざるを得ません。

なお、夫君の三浦光世さんも、アララギの歌人です。三浦さんに寄り添い、作家活動を支えてきましたが、今は三浦さんと共に眠っておられます。

今日の短歌は、三浦綾子短歌集から。

自伝『道ありき』にも、それ以前の短歌が掲載されています。







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