我が妻も画にかきとらむ暇もが 旅行く我は見つつ偲ばむ
万葉集の有名な防人の歌の代表作品を解説・鑑賞します。また防人とは何か、東歌の特徴も併せて記します。
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我が妻も画にかきとらむ暇もが 旅行く我は見つつ偲はむ
読み:わがつまも えにかきとらん いつまもが たびゆくあれは みつつしぬわん
作者と出典
万葉集巻20-4327 物部古麻呂(もののべのこまろ)
現代語訳
私の妻を絵に描き写す暇があればよいのに これから旅立つ私はそれを見ながら妻を偲ぼう
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万葉集の原文
和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多妣由久阿礼波 美都々志努波牟
句切れ
句切れなし
語彙と文法
- 妻も…「も」
- 暇…読みは方言・訛の「いつま」
- もが…「があればよいのに」の意味
- 偲はむ…「しのぶ(方言のよみで「しのふ」)+む(意志の助動詞)」
解説と鑑賞
防人歌のよく知られた一首で、妻との別れを惜しみ、はるばると九州に行くと妻とはもう会えないために、その絵、似姿を持っていきたい、その時間が欲しいという願望を表している歌。
「妻を絵に描き留めたいという発想は予かに類例がなく、作者の高い教養をうかがわせている」と解説文にある。
防人送別の宴
この防人の歌は、出立の前行われた送別の宴で詠まれた。
「暇もが」というのが、「時間がほしい」の意味だが、防人を命じられてから出立までのあわただしさがうかがえる。
妻とゆっくり別れを惜しむ時間もなく、そこで「画」との発想が生まれたとも推察できる。
それを任地においてではなく、「旅ゆく」間に見たいということからも、これから先の旅行の長さにまず、意識が向いていることが分かるだろう。
当時の九州までの旅は、数か月はかかり、往復の際は途中で命を落とす人もあったという。
徒歩が移動手段であった古代では、遠い地への旅はそれ自体が過酷であったとされている。
それを踏まえて考えると、下句「旅ゆくわれは」以下がよく理解できるものとなる。
防人とは
防人(さきもり)とは、飛鳥時代から平安時代の間に課せられていた税の1つ。
当時は、税金をお金ではなく、現物や労働で納めていた。
防人は、天皇の命により、北九州の警護を担当する仕事、戦争をしたわけではないが、当時の旅行は今よりも危険なものであり、防人の家族たちは、悲しみの情を余儀なくされた。
これらの防人の歌は、大伴家持によって集められ書き留められた。
万葉集の東歌の特徴
万葉集巻十四・古今集巻二十にある和歌を指す。
『万葉集』の東歌は、国名の明らかなもの 90首と不明のもの 140首から成るもので、多くは、東国の方言が使われて詠まれている。
文学上の特色は地方性、民謡性に認められ、粗野で大胆な表現や生活的な素材、豊富な方言使用などにより独自の世界をなしており、「東歌」として区別されて扱われている。
歌人の岡野弘彦は、万葉集での好みは、東歌であるといっており、そのように独特の魅力があるものとして現代でも知られている。