天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ 柿本人麻呂  

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天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ 柿本人麻呂

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天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石門より大和島見ゆ.

柿本人麻呂作の万葉集の和歌の代表作品の、現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説、鑑賞します。

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天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ

現代語の読み:あまざかる ひなのながちゆ こいくれば あかしの とより やまとしまみゆ

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集264

現代語訳

鄙からの長い道を通って家恋しくやってくると、明石海峡の向こうに大和の島々が見える

語句と文法の解説

語句と文法の解説です

「天離る鄙」の意味

  • 天離る…読みは「あまざかる」で、「鄙」にかかる枕詞
  • 鄙…「鄙(ひな)」辞書の定義だと、「都から遠く離れて文化の至らない地。いなか。かたいなか」を指す言葉だが、ここでは、大和から離れた周辺の土地を指す
  • 明石の門…今の明石海峡をいった言葉
  • 大和島…大和の山々を指す

※枕詞については
枕詞とは その意味と主要20一覧と和歌の用例

句切れと修辞について

  • 句切れなし
  • 枕詞の使用




解説と鑑賞

柿本朝臣人麻呂羇旅歌八首の7首目の歌で、人麻呂の秀歌の一首として知られる歌。

作者の心情

羇旅歌は八首とも船の旅が主題で、この歌は、瀬戸内海を東に上ってきて、大和の山が見えた時の瞬間の景色を詠ったもの。

大和への望郷の念が作者が詠みたかったものであるが、大和への強い憧憬と帰属意識の他に、表には表れていなくとも妻への思いが込められていると思われる。

歌の風景

船の上尾から見えるのは、大和の山であり、その前に「あまざかるひな」が置かれている。

これは、山に対する平らな地を表し、大和を離れ、大和の山の見えない離れた土地から帰ってきて、明石海峡に見える大和の特徴である山を見た時の作者の感慨を表している。

斎藤茂吉の評

西から東へ向って帰って来る時の趣で、一首の意は、遠い西の方から長い海路を来、家郷恋しく思いつづけて来たのであったが、明石の海門まで来ると、もう向うに大和が見える、というので、羇旅の歌としても随分自然に歌われている。

それよりも注意するのは、一首が人麿一流の声調で、強く大きく豊かだということである。そしていて、浮腫のようにぶくぶくしていず、遒勁ともうべき響だということである。

こういう歌調も万葉歌人全般というには行かず、家持の如きも、こういう歌調を学んでなおここまで到達せずにしまったところを見れば、のと安易に片付けてしまわれない、複雑な問題が包蔵されていると考うべきである。--『万葉秀歌』斎藤茂吉著 より

 

柿本人麻呂の羇旅歌八首

柿本朝臣人麻呂羇旅歌八首

御津(みつ)の崎波を恐(かしこ)み隠(こも)り江(え)の舟に公宣(きみの)る美奴(みぬ)の島へに 249

玉藻刈る 敏馬(みぬめ)を過ぎて 夏草の 野島が崎に 船近づきぬ  250

淡路の 野島が崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す 251

荒栲(あらたへ)の 藤江の浦に 鱸(すずき)釣る 海人とか見らむ旅行く我れを 252

稲日野も 行き過ぎかてに 思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ 253

燈火(ともしび)の 明石大門(おおと)に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず  254

天離(ざか)る 鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ 255

笥飯(けひ)の海の 庭よくあらし 刈薦(かりこも)の 乱れて出づ見ゆ 海人の釣船 256

柿本人麻呂の経歴

飛鳥時代の歌人。生没年未詳。7世紀後半、持統天皇・文武天皇の両天皇に仕え、官位は低かったが宮廷詩人として活躍したと考えられる。日並皇子、高市皇子の舎人(とねり)ともいう。

「万葉集」に長歌16,短歌63首のほか「人麻呂歌集に出づ」として約370首の歌があるが、人麻呂作ではないものが含まれているものもある。長歌、短歌いずれにもすぐれた歌人として、紀貫之も古今集の仮名序にも取り上げられている。古来歌聖として仰がれている。

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