柿本人麻呂の万葉集の和歌代表作一覧  

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柿本人麻呂の万葉集の和歌代表作一覧

2021年10月27日

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柿本人麻呂は、万葉の古代日本を代表する大歌人とされています。

柿本人麻呂の万葉集の和歌の代表作品を現代語訳をつけて一覧でまとめます。

柿本人麻呂作の万葉集の和歌の代表作品

柿本人麻呂,肖像画

静神社の三十六歌仙より

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柿本人麻呂は、万葉集ばかりでなく、後代に至るまで「歌聖」と仰がれる優れた歌人です。

柿本人麻呂作の万葉集の和歌の代表作品を現代語訳をつけて、以下に一覧でまとめます。

他の歌人については 万葉集の代表的な歌人一覧まとめ をお読みください。

 

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ

読み:おうみのうみ ゆうなみちどり ながなけば こころもしのに いにしえおもおゆ

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集 3-266

現代語訳

近江の湖の夕暮れに 波打ち際で餌をついばむ千鳥よ、こころがしなうほどに昔のことが思われる

※この歌の解説
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ 柿本人麻呂

 

あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る

読み:あしひきの やまかわのせの なるなえに ゆづきがたけに くもたちわたる

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集 7-1088

現代語訳

山川の早瀬に波音が高くなるにつれて、弓月が岳には次々と雲が立ち昇っている

※この歌の解説
あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る 柿本人麻呂

 

しきしまの大和の国は言霊の助くる国ぞまさきくありこそ

読み:しきしまの やまとのくには ことだまの たすくるくにぞ まさきくありこそ

作者と出典

柿本人麻呂  巻13・3254

現代語訳

しきしまのやまとの国は言葉の霊力が物事をよい方向へ動かしてくれる国です、どうか私が言葉で申し上げることによって、どうぞその通り、無事でいて下さい。

※この歌の解説
しきしまの大和の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ 言霊信仰の万葉集の和歌

 

八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ

読み:やくもさす いづものこらが くろかみは よしののかわの おきになづさう

作者と出典

柿本人麻呂  巻三・四三〇

現代語訳

八雲の湧く出雲の娘子の黒髪が、吉野の川の沖に揺らめいている

※この歌の解説
八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ 柿本人麻呂

 

大君はにしませば天雲の上に廬せるかも

読み:おおきみは かみにしませば あまぐもの いかづちのうえに いおりせるかも

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集3巻 235

現代語訳

わが天皇は神でいらっしゃるので、天雲の雷の上に行宮(あんぐう)をおつくりになりたもうた

※この歌の解説
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも 柿本人麻呂「万葉集」

 

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

読み:あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん

作者と出典

柿本人麻呂の作

「百人一首」「万葉集」に元歌

この歌の作者について

ただし、柿本人麻呂作とされているが、万葉集にも同じ歌形の歌があり、口伝えにされているうちに、大歌人である人麻呂の歌とされたとみられる。

この歌は「拾遺集」にも収められている。

現代語訳と意味

山鳥の長く垂れた尾のように長い長い夜を、寂しく一人寝をするのであろうか

※この歌の解説
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂

 

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

読み:ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ

作者

柿本人麻呂 1-48

現代語訳

東の野に陽炎の立つのが見えて振り返ってみると月は西に傾いてしまった

※この歌の解説
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ/柿本人麻呂/万葉集解説

 

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも

現代語の読み:もののうの やそうぢがわの あじろぎに いさようなみの ゆくしらずも

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集264

現代語訳

宇治川の網代木にたゆたっている 波の行方がわからないことだ

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも 柿本人麻呂

 

天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ

現代語の読み:あまざかる ひなのながちゆ こいくれば あかしの とより やまとしまみゆ

作者と出典

柿本人麻呂 万葉集264

現代語訳

鄙からの長い道を通って家恋しくやってくると、明石海峡の向こうに大和の島々が見える

天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ 柿本人麻呂

 

石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹みつらむか

現代語の読み:いわみのや たかつのやまの このまより わがふるそでを いもみつらんか

出典

万葉集 215 「石見相聞歌

現代語訳

石見のなあ、高角山の高い山の基の間から私が別れを惜しんで振るこの袖を妻は今頃見ているだろうか

 

笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 解説

現代語の読み:ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもう わかれきぬれば

出典

万葉集 2-133 「石見相聞歌」の反歌

現代語訳

笹の葉は山全体でさやさやと音を立てているけれども、私は一心に妻のことを思っている。別れてきてしまったので

 

※石見相聞歌の長歌の解説は下の記事に記しました。

石見相聞歌の解説 表現技法と品詞分解 柿本人麻呂

 

柿本人麻呂の経歴

柿本人麻呂 かきもとのひとまろ

飛鳥時代の歌人。生没年未詳。7世紀後半、持統天皇・文武天皇の両天皇に仕え、官位は低かったが宮廷詩人として活躍したと考えられる。日並皇子、高市皇子の舎人(とねり)ともいう。

「万葉集」に長歌16,短歌63首のほか「人麻呂歌集に出づ」として約370首の歌があるが、人麻呂作ではないものが含まれているものもある。

長歌、短歌いずれにもすぐれた歌人として、紀貫之も古今集の仮名序にも取り上げられ、古来歌聖として仰がれている。




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