「君が代」の歌詞の意味をわかりやすく解説 古今和歌集に元の歌  

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「君が代」の歌詞の意味をわかりやすく解説 古今和歌集に元の歌

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「君が代」の歌詞は、古今和歌集にある和歌、つまり短歌が元になっていると知っていましたか。

「君が代」の歌詞の元となる古今和歌集の和歌の意味を分かりやすく解説します。

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「君が代」の歌詞

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「君が代」の成立にはいろいろな説がありますが、古今集の和歌にも原型となる和歌があります

言葉には一部違いがみられますが、「歌詞」としては、今の形となっています。

「君が代」の現在の歌詞は以下の通りです。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の生すまで

現代語での読みは、「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」

 

「君が代」の歌詞の意味

君が代の歌詞の全体の意味です

あなた様の代が、小さな石が大きな岩となって、苔が生い茂るさきざきまでながく続きますように

「君が代」の歌詞の語句をひとつずつ見ていきましょう。

「君」は敬称の二人称

君は一般に敬愛する人を差します。

和歌で「君」という代名詞は、恋愛の相手や目上の相手に用いられることもあります。

額田王の万葉集の和歌のように、「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」「君」が恋人を差すこともあります。

元々の「君が代」のテーマは「皇統の永続性」なので、この理解から言うと、「君」は天皇、「君が代」は天皇の代、または天皇の治世とも理解されています。

「千代に八千代に」の意味

「代」は、人の一生、ここでは、天皇の治める世のことです。

「千」や「八」は、具体的な千年ということではなく、「たくさんの」の意味で用いられる数字です。

なので、ずっと長いこと、「永久に」の意味となります。

「さざれ石の巌となりて」の意味

「さざれ石」は、水中の細かい石というのが元の意味です。

対する、「巌(いわを)」は岩のこと、それも大きな岩のことをいいます。

なので、この部分の意味は、長い年月をかけて「小さな小石が大きな岩となる」そのように、「長い」時の流れを表します。

「苔のむすまで」の意味

「苔のむすまで」の意味は「苔が生えるまで」。

「むす」は生い茂るの意味です。

長い年月をかけて石が岩となる、それだけでも、とても長い年月が思われますが、さらにその石に「苔が生えるまで」ということで、この部分も、やはり、「長い年月」を表しています。

どの句も年月の長さを表す

君が代の歌詞の「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の生すまで」の、「君が代は」以外の部分「千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の生すまで」は、どの言葉も、「永久に長く」を表す句となっています。

 

「君が代」の歌詞の元は和歌

「君が代」の歌詞の元は、古今和歌集にある和歌で、その違いをあげておきます

我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

現代語の読み:わがきみは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで

作者と出典

読み人知らず 古今和歌集72

歌の意味

この歌の意味は、

わが君は、永遠の世々に、小さな石が大きな岩となって、苔が生い茂るさきざきまでながく、おすこやかに あらせられませ

と記されています。

内容は、「君が代」とほとんど変わりはありません。
 

解説

この歌は、古今和歌集巻第七 「賀歌」(がのうた)の冒頭に置かれた、4首のうちの一首目です。

作者は「読人しらず」となっていますが、良い歌であるということで、冒頭に選ばれたのでしょう。

「賀歌」(がのうた)はお祝いの歌で、「わが君」のお祝いの際に、詠まれたものとされます。

特定の天皇というよりも、「天皇を中心とする皇統についていう」というのが、古今和歌集での解説です。

なお、冒頭の「わが君は」が「君が代は」に変えられたのは、中世以降という説があります。

「君が代」の歌詞との比較

「君が代」の歌詞とどこが違うかというと、

古今:我が君は千世に八千世にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで

「君が代」:君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

歌と歌詞の最も最初の部分が、「わが君」「君が代」と違いがわかります。

「我が君」から「君が代」への転換は平安時代末期ころに進んだとされています。

全体の歌のタイトルは、「君が代」ですので、題名としては、「君が代」よりは、「わが君」であるよりはふさわしいことが分かります。

君が代を作曲した人は

「君が代」を歌として作ろうと考えた人は、イギリス人ジョン・ウィリアム・フェントン。

日本で、軍楽隊教官を務めた彼は1869年に日本に国歌がないのを残念に思い、作ろうと提案して、自らが作曲しました。

歌詞は、静岡藩士の乙骨太郎乙が大奥で行われた正月の儀式「おさざれ石」で使用された古歌を提案。これが今の君が代の歌詞です。

その後、フェントンの曲は廃止となり、変って日本の、林廣守が雅楽の壱越調旋律の音階で作曲し、ドイツ人海軍軍楽教師のフランツ・エッケルトが楽隊用に編曲をしたものが今に至っています。

 

 




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