八重むぐら茂れるやどのさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 百人一首47番 恵慶法師  

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八重むぐら茂れるやどのさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 百人一首47番 恵慶法師

2021年12月10日

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八重むぐら茂れるやどのさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 百人一首47番の恵慶法師の和歌の現代語訳と一首の背景の解説を記します。

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八重むぐら茂れるやどのさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

読み:やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

作者と出典

作者:恵慶法師 (えぎょうほうし)

出典:小倉百人一首47 拾遺集

現代語訳:

葎のおい茂った荒涼としたこの家はさびしく、訪れる人もないが、いちはやく秋だけはもうやってきたのだなあ

・・

語と句切れ・修辞法

一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です。

句切れと修辞法

  • 句切れなし
  • 「人こそ見えね」の部分が、係り結びの逆説

語句の意味

・むぐら…草むらに茂る蔦草

・しげれる…基本形「茂る」の連用形+存続の助動詞「り」

・さびしさ…形容詞「寂し」からの名詞

「人こそ見えね」の品詞分解

「こそ…已然形『ね』」 で、係り結びの逆説

解説

「こそ…已然形(この歌では「見えね」)」の場合は、係り結びの逆説用法といい、「ね」の部分を「見えないが」の否定の意味で、あとに続く

係り結びの逆説 和歌の文法解説

 

解説

恵慶法師(えぎょうほうし)の百人一首47番に選ばれた歌で、拾遺集にも収録されています。

河原院を見て詠んだ和歌

拾遺集での詞書は

河原院にてあれたるやどに秋来といふこころを人びとよみ侍りけるに

となっています。

河原院とは、河原院と呼ばれた平安時代の貴族である源融(みなもと の とおる)は、が作った名園だが、設立より百年がたち、荒れ果てた廃園に近くなっていました。

その園をみて詠った歌ということです。

数奇な趣を凝らしたたたずまいが、すっかりその面影をなくしているそのさびしさ。

それにさらに季節の侘しさが重なって、それに作者は心を動かされたのです。

恵慶法師のプロフィール

恵慶法師 えぎょうほうし 生没年不詳

花山天皇頃の歌人。作品は拾遺集以下に54首収録

恵慶法師の他の和歌

いたづらに過ぐる月日をたなばたの逢ふ夜の数と思はましかば

荻の葉もやゝうちそよぐほどなるをなど雁がねの音なかるらん

紅葉見にやどれる我と知らねばや佐保の河霧立ち隠すらん

昨日より今日はまされるもみぢ葉の明日の色をば見でや止みなん

今よりは紅葉のもとに宿りせじおしむに旅の日数へぬべし

百人一首の前後の歌

46.由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな (曾禰好忠)

48.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな (源重之)




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