月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして 在原業平  

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月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして 在原業平

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月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして 在原業平の古今和歌集の和歌、他に「伊勢物語」にも収録されている短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。

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月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

現代語での読み:つきやあらぬ はるやむかしのはるならぬ わがみひとつは もとのみにして

作者と出典

在原業平(ありわらのなりひら)

古今集15 747・「伊勢物語」の第4段『月やあらぬ』

在原業平については
在原業平の代表作和歌5首 作風と特徴

現代語訳と意味

月は昔のままの月ではないのか。春は昔の春ではないのか。月も春も昔のままなのに、私のこの身だけが変わらない

語と句切れ

一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です

句切れ

  • 二句切れ 三句切れ
  • 対句
  • 倒置
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古今和歌集と新古今和歌集の代表作品 仮名序・六歌仙・幽玄解説




解説

「伊勢物語」4段にある印象的な歌。

古今和歌集のこの歌の前には「伊勢物語」の内容を伝える詞書がついています。

「伊勢物語」のあらすじを示す詞書

五条の后の宮の西の対に住みける人に、本意にはあらで、物言ひわたりけるを、正月の十日あまりになむ他へ隠れにける。

あり所は聞きけれど、え物も言はで、又の年の春、梅の花盛りに、月のおもしろかりける夜、去年を恋ひて、かの西の対に行きて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷に臥せりて、よめる

詞書の大意

京の都の五条通りにある后の宮屋に住んでいた女性に、共住みを願いながら果たせず、しのんで通っていたが、正月十日ごろに、他の所へ姿を隠してしまった。

彼女がどこへ行ったのか住処は聞いたのだけれど、気持ちを伝えられず、次の年の春、梅の花が盛りの頃の月が美しく照っている夜に、去年を恋しく思って、女性が住んでいた西の部屋に行って、月が傾いて沈んでしまうまで、粗末な部屋の板敷きに横になって、詠んだ

この詞書を見ると、歌の背景とそれが詠まれるようになった次第が詳しくわかるようになっています。

離れてしまった思い人がかつて住んだ家で、月を見ながら詠んだ歌がこの歌です。

一首の理解のポイント

歌の理解には、「月やあらぬ春…ならぬ」の意味及び訳し方です。

「伊勢物語」のこの部分を見てみてると

又の年のむ月に、梅の花ざかりに、去年を恋ひて行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまで ふせりて、去年を思ひいでてよめる。歌。

となっています。

「去年に似るべくもあらず」は「去年とは似ていない、違う、違って見える」ということで、「月やあらぬ、春はむかしの春ならぬ」は、

「月も春も昔の月と春ではないのか」

つまり、

思い人が去ってしまって月日が経ち、悲しみの心で見る月は、より違って見える。違うはずはないのに

という自問自答の気持ちが込められています。

疑問の「や」

それを表現するのが、終助詞の「や」です。

基本的には、疑問の「や」とされていますが、反語の「や」という解釈もあります。

どちらにしても、月や春の天体現象が変わらないのは周知の事です。

難解だが心情のこもる歌

この歌は、「心あまりて詞たらず」の歌と言われ、表現不足でわかりにくいということが指摘されています。

しかし、結句の「わが身ひとつはもとの身にして」を含めて、哀切な歌として古今集にも取り上げられている通り、古くから知られている有名なものです。

短歌の作品には、「傷があっても愛される歌」というのがありますが、この歌もその筆頭と言えるかもしれません。

在原業平の歌人解説

在原業平(ありわらのなりひら) 825年~880年

六歌仙・三十六歌仙。古今集に三十首選ばれたものを含め、勅撰入集に八十六首ある和歌の名手。

「伊勢物語」の主人公のモデルと言われる。

在原業平の他の代表作和歌

ちはやぶる神代もきかず龍田河唐紅に水くくるとは(古今294)

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(古今410)

白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消(け)なましものを (古今851)

月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつは元の身にして(古今747)

名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思う人はありやなしやと(古今411)




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