つきぬけて天上の紺曼珠沙華 意味と修辞法解説 山口誓子の自解は「つきぬけるような」  

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つきぬけて天上の紺曼珠沙華 意味と修辞法解説 山口誓子の自解は「つきぬけるような」

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つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子の教科書掲載の俳句の句切れと意味、つきぬけているものは何か、作者山口誓子の解説を記します。

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読み:つきぬけて てんじょうのこん まんじゅしゃげ

作者と出典:

山口誓子 やまぐちせいし

現代語訳

秋の空が突き抜けるように高く、その深い紺色の空に向かって真っ赤な曼殊沙華が咲いている

俳句の語句

・天上…「空」または、「空の上」のこと

・紺…空の色を表す 深い青い色と思われる

・曼殊沙華 読みは「まんじゅしゃげ」。彼岸花のこと。秋の彼岸の頃に、赤い火花が散ったような花を咲かせる。

切れ字と句切れ

・切れ字なし

・2句切れ

季語

季語は「曼殊沙華」 秋の季語

形式

有季定型

 

解説

空と曼殊沙華との色の対比を詠んだ句。

一句に省略が含まれているため、情景を浮かべながら理解する必要がある。

「つきぬけて」の解釈には、これまで2種類の解釈が提示されている。

この俳句の情景説明

秋の空の下に咲く曼殊沙華の風景の美しさに心を惹かれた作者が、その様子を表した。

 

「つきぬけて」いるものは何か

初句に主語がなく置かれた動詞だけの「つきぬけて」の主語が何かには、これまで2種類の解釈がある。

曼殊沙華 → 空を突き抜ける

天上の紺 → 突き抜けるような「空」

一つの説は、曼殊沙華が、紺色の空を突き抜けて咲く、すなわち、「つきぬける」の主語が曼殊沙華であるという説。

もう一つが、「天上の紺」が、そのまま「つきぬける」の主語であるという説。である。

この場合、作者の意図は、後者「天上の紺」を主語とすることが、作者自身の注釈によって示されている。

作者 山口誓子自身の提示

山口誓子自身のこの俳句の解説によれば、下のように示される。

「『つきぬけて天上の紺』は、くっつけて読む。つきぬけるような晴天とは、昔からいう。それを私は『つきぬけて天上の紺』といったのだ」
- 山口誓子「自選自解句集」


この俳句の修辞法

上記の作者の解説によると、「つきぬけて天上の紺」は、「つきぬけるような」空の深い青い色ということになり、その場合は、比喩の直喩の修辞法が用いられているといえる。

俳句,比喩,解説
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この俳句の感想

「つきぬけて」の主語は最初は曼殊沙華だと思いましたが、作者山口誓子自身の解説で、空の色だということがわかりました。空の色の強い表現を使ったのは、曼殊沙華の鋭角な花とその緋色に対置させるためだと思います。ただの「青い空」では曼殊沙華に負けてしまいます。「つきぬけて」を初句に配置することでバランスが取れると作者が考えた工夫があるのだと思います。

 

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