教科書の短歌

行く春や鳥啼魚の目は泪 現代語訳と解説 松尾芭蕉「おくのほそ道」の矢立て始めの句

行く春や鳥啼魚の目は泪 作者松尾芭蕉の教科書掲載の「おくのほそ道」の矢立て始めの俳句の現代語訳と意味の解説、鑑賞を記します。

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行く春や鳥啼魚の目は泪

読み:ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ

作者と出典:

松尾芭蕉 「おくのほそ道」

この俳句の現代語訳

春が過ぎ去ろうとする日に私は旅立つ。人だけでなく、鳥や魚までが、空に泣き水中に涙して、別れを惜しんでくれている

句切れと切れ字

切れ字「や」

句切れ  初句切れ

他に、擬人法や体言止め

季語

季語は「春」 春の季語

形式

有季定型

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解説

松尾芭蕉代表作品『おくのほそ道」の最初の方に旅立ちの俳句として記した「矢立て始め」の句。

矢立て始めとは

矢立てというのは、携帯用の筆記用具で、墨壺についた筒の中に筆を入れ、帯に差し込んだりして持ち歩く、今でいう筆入れのことをいう。

その使い始めを「矢立て始め」という。

松尾芭蕉は携行したこの筆入れから、筆を出し、この俳句を記したので、「矢立て始めの句」となっている。

俳句の背景

芭蕉は3月27日(陽暦5月16日)の早朝、門人曽良(そら)をと共に、奥羽加越の歌枕をたずねる旅に出た。

家を出たあと、人に見送られながら隅田川で船に乗ったが、そこで、上の句を記したので、そこが「矢立て始めの地」とされている。

作者松尾芭蕉の思いと心情

昔のことなので、江戸から奥羽への旅は長旅であり、危険でもあったため、長旅の前には、無事を祈って別れを惜しみ、知人や俳句の友人などは、皆が見送りに来るのが習慣でもあった。

また、この時、芭蕉は45才であり、当時としては高齢であり、そこからくる心配もひとしおであっただろう。

松尾芭蕉自身も、人々の見送りに心を動かされ、それらの人々に長く別れるのに、強い哀惜時の情を感じたのだろうことが、「涙」という言葉を入れていることからうかがえる。

「行く春」の意味

「行く春」は、詩歌の決まり文句で、過ぎ去っていこうとする春のことだが、これには、旅立つ自分をも重ねている。

「鳥啼魚」とは

「鳥啼魚の目は」は、現代語に訳すと

鳥が鳴き、魚の目には

となるだろう。

その最後の句で「目に涙」とすることで、鳥が鳴いているのは、無意味に鳴いているのではなく、芭蕉の旅立ちを祝し、別れを惜しむためであって、魚の涙も同様、別れが悲しいためであることがわかる。

擬人法の修辞法

これらの擬人化は、本来は、見送りに来た芭蕉の門人や知人のものである。

つまり、泣いていたのはそれらの人々であったのだが、それを「人泣き人の目に」ではなくて、「鳥」や「魚」を主語としていることで、惜別の情が人以外の万物に及んでいるかのように表現している。

さらに、自分の旅立ちを「行春」とすることで、作者一人の旅立ちを、大いなる時の流れと空間的な事象になぞらえている。

これは、旅立ちの規模そのものが大きいのではなくて、作者の心の動き、万感胸に迫るものを上記のように外部の者に託して表現する意図があるためである。

私自身のこの俳句の感想

「鳥啼魚」が現代語訳だと「鳥が鳴き、魚の目に涙」だということで初めて、鳥や魚のあらゆるものが、別れを惜しんでいるという意味だとわかりました。それだけ、昔の旅は大変だったのですね。

松尾芭蕉の他の俳句

野ざらしを心に風のしむ身哉
古池や蛙飛びこむ水の音
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨をあつめて早し最上川
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

松尾芭蕉について

松尾芭蕉 まつおばしょう 1644〜94
江戸前期の俳人 もと伊賀上野の藤堂藩士だったが、身分を捨てて町人の世界に入った。江戸で談林派などの俳諧を学び,のち「さび」「しおり」「細み」などを根本理念とした蕉風を開拓。俳諧を芸術として確立した。蕉門十哲をはじめ,多くのすぐれた門弟を輩出させ,各地に旅し,名句と紀行文を残した。『奥の細道』は代表作。句風は『猿蓑』にうかがうことができる。

 

参考:「矢立て始めの地」の場所

〒120-0038 東京都足立区千住橋戸町31 千住大橋公園




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