大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも 北原白秋  

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大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも 北原白秋

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大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

北原白秋の代表短歌作品の現代語訳と句切れ、表現技法について記し ます。

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大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

読み:おおきなる てがあらはれて ひるふかし うえからたまごを つかみけるかも

現代語訳と意味

昼下がりに、大きな手がにゅっと急に表れたと思うと、上から卵をつかんだのであったよ

作者と出典

北原白秋 『雲母集』(きららしゅう)

語句の意味と文法解説

・・大きなる…基本形「大きなり」の連体形

・あらはれて…現代語は「現れて」  出現しての意味

・深し…基本形の終止形

「つかみけるかも」品詞分解

・つかむ…他動詞5段活用

・ける…基本形「けり」。過去の助動詞 詠嘆 「つかんだなあ」の意味

・かも…詠嘆の終助詞

句切れと修辞・表現技法

・3句切れ

・4句目は字余り

 

解説と鑑賞

北原白秋『雲母集』の「卵」3首の中の2首目の歌で、歌集冒頭から3首目の作品。

卵の側から見たような視点が斬新な歌。

一連の歌を見ると、卵は、鶏でなく七面鳥の卵ということがわかる。

「卵」の連作

一連3首は下の通り

煌々と光りて深き巣のなかは卵ばつかりつまりけるかも

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

かなしきは春画の上にころがれる七面鳥の卵なりけり

巣が卵で満たされている様子を詠んだのが1首目、卵を取ったのが2首目、部屋に戻って、春画の上に卵を置いたのが3首目という時間順に、卵をめぐる情景が詠まれている。

なお、「春画」(読みは「しゅんが」)というのは、江戸時代の男女の交合図、今の言葉でいうポルノグラフィーの絵を指す。

 

随筆「孟宗と七面鳥」には、隣の家が、七面鳥を飼っていたことを記しているが、白秋は飼育されている七面鳥の巣を除く機会があったようだ。

そして、そこにあるたくさんの卵を見てそれを取ろうと手を伸ばす。

すると、七面鳥が逃げ惑うのを見て、卵の側から「手が現れた」と表現することを着想したとも思われる。

「上から」卵と手のアングル

歌では、手のアングルを示すのに「上から」と入れている。

卵は通常地面と平面に置かれているとすると、通常の手の位置は、卵の脇からになるが、ここに「上から」と入れることで、卵の視点から見上げた時のアングルであることがわかる。

「大きなる」も同様、卵から見ると、指を広げた大きな手は、「大き」く見えるだろう。

卵の側から見た視点というのが、この歌の大きなポイントである。

「昼深し」と一首の構成

一首の意味は「大きな手が出現して卵をつかんだ」というものだが、3句には上下の句を分断するように「昼深し」が置かれている。

「昼深し」は時間が、真昼前後から午後を表す言葉で、あえて言うのなら、太陽の高さや、空間的なものを暗示しているとも考えられなくはない。

人から見た太陽の高さ、昼の光に見える空間の広さが、すなわち、卵から見上げた人の手という構図に置き換えられなくもない。

「昼ふかし」の句切れ

ただし、「昼ふかし」は句切れで、「大きなる手があらはれて昼ふかし」文章がここで一度終わってしまう。

さらに、手と「昼ふかし」の関係は薄い上に、手が何をしているのかが下句に移り「つかみけるかも」の結句を読むまでわからないことになってしまう。

北原白秋は、この歌集「雲母集」について、後の歌集「雀の卵」で、「雲母集で失敗した」とも述べているので、この歌がどうかはともかくとして、欠点の多い歌集であったことも間違いない。

北原白秋について

北原白秋 1885-1942

詩人・歌人。名は隆吉。福岡県柳川市生まれ。早稲田大学中退。

象徴的あるいは心象的手法で、新鮮な感覚情緒をのべ、また多くの童謡を作った。

晩年は眼疾で失明したが、病を得てからも歌作や選歌を続けた。歌集「桐の花」「雲母集」他。

―出典:広辞苑他




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