『初恋』は島崎藤村の詩集『若菜集』の代表作の詩です。
教科書にも掲載されているこの詩のポイントの解説と現代語訳、表現の分析と子の詩を読んでの感想を合わせて記します。
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『初恋』詩集『若菜集』代表作
『初恋』は、島崎藤村の明治30年に刊行された詩集『若菜集』の代表作の詩です。
『若菜集』は明治のロマンチシズム文学運動の先端を行く詩集であり。上田敏の訳詩集『海潮音』、与謝野晶子の短歌集『みだれ髪』と並び、当時大きな人気を博しました。
※他の教科書の詩の解説は
教科書の詩 教材に掲載される有名な詩一覧
以下が詩の全文です。味わいながら読んでみましょう。
『初恋』島崎藤村作 全文
『初恋』島崎藤村作
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなりわがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃さかづきを
君が情(なさ)けに酌(く)みしかな林檎畑の樹(こ)の下に
おのづからなる細道(ほそみち)は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
『初恋』の現代語訳
『初恋』の現代語訳を示すと、おおむね下のようになります。
まだ上げたばかりの少女の前髪が林檎の木下に見えた時、髪に刺した花櫛と林檎の枝が相まって、なんと美しいあなたであろうと思ったのだよ
君が白い手でやさしく林檎、秋に色づき始めたばかりの林檎の薄紅色のその実を与えてくれたその時が、私は人を恋した最初の時であった
私の心がここにないかのようなため息が、君の髪にかかる時は、楽しい恋の盃を君の示す思いやりによって酌み交わしている時であった
林檎畑の樹下に自然にできた細い道は、誰が踏んで初めて道になっただろうかと、君が聞くほどに君のことが恋しいのだよ
『初恋』の主題
この詩の主題は、「初恋」の清純な情緒とその抒情の表現にあります。
理解のポイントは下の二つです。
・「薄紅色の林檎」の象徴するもの
・細道をめぐるの象徴的な意味
以下の解説に詳しく記します。
この詩の特徴
他にもこの詩の構成上の特徴が2つあります。
・七五調
・文語文(旧かなづかい)
七五調(しちごちょう)とは
この詩は、最初から最後まで七五調(しちごちょう)で書かれています。
文語体
現代の言葉である口語に対して、明治時代まで使われた文語体によって書かれています。
文語体は「文章だけに用いる特別の言語」のことをいいます。
「あげ初めし」「見えし」「さしたる」「思ひけり」などは文語の文法で、その上での意味の理解が必要となります。
また文語に伴い、表記も現代の新仮名遣いではなく、旧仮名遣いで書かれています。
(旧仮名)あたへしは
(旧仮名)問ひたまふ
上記の七五調と文語を合わせて、この詩『初恋』は「文語定型詩」と定義されます。
※詩の形式については下の記事で確認できます。
詩の形式 種類と見分け方 口語自由詩・文語定型詩など
『初恋』の解説
詩の解説を示します。
1段目の詩の場面
詩のストーリーの1段目、林檎の林の中での少女との最初の出会いの場面が表されます。
「まだあげ初めし前髪の」と少女の年齢
明治時代、成人女性は髪を結いあげているのが正装でした。
前髪を下げているのは、14、5歳ですので、それよりもちょっと年かさの少女が主人公です。
「まだあげ初めし前髪の」からは、初々しい若い少女の姿が伝わってきます。
「林檎のもと」とは
「林檎のもと」の「もと」は漢字では「下」と記すことができ、リンゴの木の下、枝の下と理解できます。
リンゴ畑は、藤村の故郷信州では目に触れる風景だったでしょうが、ヨーロッパの小説や詩から取り入れた牧歌的な風景の象徴という解釈もあります。
「花櫛」は髪飾り
花櫛というのは髪に刺す飾りのことで、それを「まえにさす」とは、前髪、頭の前の方に刺していたということです。
林檎林の中で、うつむきがちな少女の頭に花のような飾りに視線を向けているところです。
「花ある君」は、その飾りのあるあなた」の意味ですが、「華のある」という言葉があるように、端的に言えば「美しい君」という意味合いがあります。
2段目の詩の場面
「やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり」
2段目の場面は、その少女が作者に林檎を与える場面です。
薄紅色の林檎の意味
秋のなり始めの林檎ですので、色がまだ薄く、青りんごよりももう少し色づいたような薄紅色との描写です。
このリンゴは、少女の若さを象徴するとともに、作者の初めての恋、つまり「初恋」そのものを視覚化しています。
少女が与えた林檎、それが作者の心に灯をともしたかのように、「恋」の感情が生まれたというロマンチックな場面です。
林檎は聖書のアダムとイブのエピソードにも出てくる果実で、この詩も象徴的な意味が添えられています。
その発想自体が西洋的といえます。
3段目の場面
「わがこゝろなきためいきの/その髪の毛にかゝるとき/たのしき恋の盃を/君が情に酌みしかな」
3段目の場面は、恋の感情の高まりがもう少し具体的に、比喩で記されています。
「こころなき」の意味
「こころなき」というのは、ぼんやりして心がここにないこと」つまり、恋にうわずってしまった自分の状態を表します。
「恋の盃」は比喩表現
そしてその自分のつくため息が少女の髪にかかるほどの距離にいて、言葉を交わしている、それが「恋の盃を」「酌み」という比喩表現でしょう。
実際にその場で酒を飲んだわけではなく、交わしたのはやはり言葉であり、「君が情け」というのは、少女が自分に優しく語りかけてくれたということを指します。
その間中、作者は胸がいっぱいになっていたということです。
3段目は西洋風というよりは、「情け」などはいささか和風の趣の言葉となっています。
4段目の場面
「林檎畑の樹の下に/おのづからなる細道は/誰が踏みそめしかたみぞと/問ひたまふこそこひしけ」れ
4段目は上の、少女が話をした内容を表しますが、それがまた比喩の表現となっています。
少女の問いかけ
少女が作者に聞いたのは、次のようなことです
林檎畑の林檎の樹の間に細い道ができている。
それは「誰が通って道になったのでしょうか」と、あどけなく作者に聞くのですが、これは実際の道ではあるが、これも象徴的な意味があります。
「かたみ」の意味
「かたみ」というのは、多く遺品の意味で使われますが、ここでは「残したもの」との意味です。
まだ一度も経験したことのない「恋」という感情、そこを「踏んだ」、つまり「道」という跡をつけたのは、作者にとってはこの少女に他なりません。
「かたみ」とは、少女が作者に残したものとの意味なのです。
恋心を起こさせたことを、少女自身は知らないでいるのですが、「林檎=恋心を私に与えたのはあなたなのですよ」と作者は言いたいところでしょう。
つまり「あなたを恋し始めてしまった」と告白したいところなのですが、彼女は自分のしたことは知らずに無邪気に作者に問いかける。
その言動が、作者の内心の恋とのコントラストを際立た、少女のその純真さが「初恋」の若さを表します。
言ってみれば作者はここで初恋を体験したのですが、少女はまだ恋を知らないのです。
恋を知る前の作者と知った後の作者がそこにも重ねられており、それがこの詩の主題「初恋」のゆえんなのです。
詩の時代背景
詩が書かれたのは明治時代であり、このような抒情的な主題はそれまでの日本の文学にはありませんでした。
また、「恋愛」そのものが主題になる作品が書かれるようになったのも、この時代が始めであったと言えます。
島崎藤村は「文学界」という文芸誌で、その頃取り入れられ始めた西洋の文学を元に、このような新しい境地を切り開きました。
そんため、明治時代の詩歌集で『若菜集』は最も多く読まれた詩集となったのです。
私自身のこの詩の感想
人が最初の恋を知る、その感情を体験する場が林檎畑のシチュエーションであるとはなんとも美しくロマン的です。まだ淡い色の林檎を受け渡しすることで恋が芽生え、初恋を知った男性とまだ恋を知らない少女の対比も新鮮です。そのように男女の異なる心境を対比することで、恋心のあるなしとその違いによって、恋という目に見えない心境が伝わるようになっています。
島崎藤村について
島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日) - 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本における詩人又は小説家である。島崎 藤村は、日本における詩人又は小説家である。本名は島崎 春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。 『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。―出典: 島崎藤村 フリー百科事典wikipediaより
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