なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波 後徳大寺左大臣  

広告 新古今集

なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波 後徳大寺左大臣

2022年7月18日

※当サイトは広告を含む場合があります

なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波 後徳大寺左大臣の新古今集の和歌の現代語訳と解説・鑑賞を記します。

スポンサーリンク




なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波

現代語での読み: なごのうみの かすみのまより ながむれば いるひをあらう おきつしらなみ

作者と出典

後徳大寺左大臣 (藤原実定) 新古今集巻第一 春歌上 35

現代語訳と意味

なごの海にかかる霞の間から眺めると、今波間に入ろうとする夕日を洗うかのように見える沖の白波よ

・・・

語と句切れ・修辞法

一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です

句切れと修辞法

・句切れなし

・擬人法

・体言止め

語句の意味

・なごの海…今の大阪市住吉区あたりの海岸。他に富山県の説もある

・霞…夜明けの海の水蒸気で空気が曇った様子

・まより…「ま」は「間」「隙間」の意味

・入る日…海に沈む太陽のこと 「入る」は基本形「入る」の動詞の連体形 類語に「入日」(いりひ)の読みもある

・あらふ…基本形「洗ふ」の連体形

・沖つ白波…「沖つ」は決まった言い方。「つ」は「の」の意の格助詞。意味は「沖の白波」

他に「わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ冲つ白波」もある。

解説

古今和歌集の後徳大寺左大臣 藤原実定の代表的な作品の一つ。

「晩霞といふことをよめる」の詞書がある。

一首の眼目

この歌の一番目に立つところは、「入日をあらふ」の擬人法と比喩になる。

海に沈む夕日の周りに波が立っているところを、「入日をあらふ」と表現したのである。

これによって、実際は触れ合っていない太陽と白波が互いに接触している感じが生まれている。

歌の意味

歌の内容は、晩霞(ばんか)すなわち、夕方に立つ霞が主題。

霞を通して見える海の夕日と波の様子を詠ったもので、新古今集の特徴の一つである絵画的な眺めとなっている。

「ながむれば」の間(ま)

「霞の間に波が」と直截に続けずにそこから「ながむれば」として、作者の位置と主体性を加味している。

「ながむれば」は作者の行為だけではなく、そこに興味を持つもの、注視すべき美しいものがあるということと、作者と沖までの距離を表すとともに、景色の雄大さを表している。

上句の長さ

下句に見えるもの「いる日を洗う沖つ白波」があることになるが、そこに至るまでに17文字がある。

その17文字の長さが、対象物「白波」までの距離感を読み手に与える。

また、「まよりながむれば」という、霞の間に見える=すぐには見えない、おもむろな提示も同様である。

作者である主体は、最も大切なものを最初から見ているのではなく、これは歌を読むわれわれにとっても同様で、作者の視点に読み手も同化して物を見せられている。

ここでは作者の提示する順に

海岸⇒海上の霞⇒霞の向こう⇒夕日⇒夕日を取り巻く波

という順番で物を見ていることになる。

一首の構成の重要なところである。

3句に意味の薄い言葉

たとえば「霞の間に波が入日を洗う」とすれば、景色を直截に表すうえでは「ながむれば」は本来不要な言葉ともいえるが、短歌では3句にこのような間を取るための言葉があることは多い。

「眺める、見る」という言葉だけで、3句のまるまる5文字を使っており、この部分はおもむろであり、長い。それによって、下句へ見える物の期待が高まる結果下句をより強調するなど様々な効果がみられることとなる。

本歌取りにした歌

この歌は、

沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづ枝をあらふ白波(後拾遺和歌集雑四1063 源経信)

を本歌として詠まれたとされる。

藤原実定の他の歌

なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふおきつしらなみ

はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中

いつも聞く麓の里とおもへども昨日にかはる山おろしの風

夕されば荻の葉むけを吹く風にことぞともなく涙落ちけり

夕凪にとわたる千鳥なみまより見ゆるこじまの雲に消えぬる

今ぞ聞く心は跡もなかりけり雪かきわけて思ひやれども

いしばしる初瀬の川のなみ枕はやくも年の暮れにけるかな

やほかゆく浜の真砂を君が代のかずにとらなむ沖つ嶋もり

花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ

悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほふるさとにねをや鳴くらむ

かくとだに思ふこころをいはせ山した行く水の草がくれつつ

覚めてのち夢なりけりと思ふにも逢ふは名残の惜しくやはあらぬ

憂き人の月は何ぞのゆかりとぞ思ひながらもうちながめつつ

夜半に吹くあらしにつけて思ふかな都もかくや秋は寂しき

朽ちにけるながらの橋を来て見れば葦の枯葉に秋風ぞ吹く

藤原実定について

藤原実定(ふじわらさねさだ 1139-1191)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。俊成の甥。定家の従兄。
千載集初出。勅撰入集七十九首。

他に知られる作品に小倉百人一首 81 「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる」がある。




-新古今集

error: Content is protected !!