【解説】『レモン哀歌』高村光太郎代表作の詩の分析  

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【解説】『レモン哀歌』高村光太郎代表作の詩の分析

2022年7月15日

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『レモン哀歌』は作者高村光太郎『智恵子抄』の有名な代表作の詩。

教科書にも掲載されているこの詩のポイントの解説と表現の詳しい分析を記します。

妻智恵子の命の瀬戸際をレモンを介在させて表現した愛の絶唱です。

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「レモン哀歌」とは

レモン哀歌は、高村光太郎の有名な歌集『智恵子抄』の代表作の一つです。

以下が詩の全文です。味わいながら読んでみましょう。

※他の教科書の詩の解説は
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※高村光太郎の代表作
『道程』高村光太郎の代表作の詩

 

『レモン哀歌』高村光太郎

『レモン哀歌』  -高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

 

レモン哀歌の描く主題

『レモン哀歌』は、作者光太郎が智恵子の死の間際の様子を描いたものです。

この詩の中に登場する、いわば主人公は「智恵子」ですが、それと並列し、作者との間に置かれるべき物がレモンです。

このような中間物を間に設定し、詩的に昇華された形で作者の妻の愛情が強く感じられる作品となっています。

詩集『智恵子抄』内容

高村光太郎の詩集『智恵子抄』は、芸術上の悩みからすさんだ生活を送っていた光太郎が智恵子と出会い、結婚。

その後の智恵子の発病と死、光太郎のその後に題材をとった詩集です。

この詩は詩集の一つのクライマックスとなるものです。

 

レモン哀歌の背景

高村光太郎は画家である智恵子と結婚、芸術家夫婦として二人で制作に励む毎日でした。

しかし、妻の智恵子はやがて精神分裂病、今の統合失調症を病み、病院に入院、その後亡くなります。

肉親の死は誰にとっても悲しいものですが、その死の前に、妻である智恵子が「精神を病む」という悲劇が前提となっています。

詳しく鑑賞していきましょう。

『レモン哀歌』解説

夫人の智恵子がなくなったのは、昭和13年10月、入院していた病院の病室が詩の場面です。

高村光太郎自身が『智恵子抄』の中に

その最後の日、死ぬ数時間前に私がもって行ったサンキストのレモンの一果を手にした彼女は、そのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗われているように見えた

と記しています。

智恵子は入院中に画家として切り絵を作っており、その題材になるものを持参するのが習慣となっていました。

智恵子は精神に異常をきたしながらも、芸術家としての性向は失われず、絵になる物、色彩や形の美しいものを好みました。

レモンはそのような習慣で、智恵子の喜ぶものとしての意味があったと思われます。

表現技法の分析

各フレーズごとの分析と解説です。

作者が比喩表現によって置き換えているものをつかみ、またその表現の巧みさを見つけていきます。

二人の関係性

「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた」

智恵子を看病していたのは姪と病院の関係者ですが、何よりも夫光太郎の見舞いと、その作品に直結するべき土産を楽しみにしていました。

智恵子は前回の土産を題材として、切り絵を制作、その切り絵を光太郎に見せて、光太郎に褒められ、励まされることが習慣でした。

「待っていた」というのは、実はレモンではなく、そのような二人の関係性と習慣が元になっています。

「がりりと」の効果

「あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」

「がりりと」は、擬音です。「かりり」ではなくて、濁点の「が」を用いています。

その方が、噛み具合が強い感じが出ますし、智恵子が「レモンを待っていた」を裏付けるようにつながりが生まれます。

また、この力強さは、「生死」のコントラストを印象付けるものとなっています。

レモンは、生命の象徴なのです。

「トパアズいろ」の比喩表現

トパアズいろの香気が立つ

「トパアズ」は宝石の名前で、透明な薄いオレンジ色をしています。

この宝石は11月の誕生石となっていますが、12月それぞれの誕生石でレモンの色に一番近い色といえます。

「トパアズいろの香気」は、「…のような」を省いた隠喩で、嗅覚でとらえるべきレモンの香りを視覚的な「色」に置き換えることによって表現しています。

死の場面というのは深刻なものですが、この最初の比喩によって心のゆとり、そして何より美しさが生まれています。

詩の場面であるにもかかわらず美しいことが、この詩の特徴でありポイントなのです。

 

その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした

智恵子の病状は、一時は精神が錯乱、着崩れた姿で外に出て大声で演説をするというようなひどいものでした。

夫である光太郎の苦悩は他の詩にもつぶさに語られています。

それが死の間際になって「天のものなる」、まるで天の恩恵であるかのように、あれほど願った「智恵子の意識を正常に」するという現象をもたらした、そう作者は想像するのです。

「青く澄んだ眼」の意味

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

生きている智恵子の最後の仕草がここに表されています。

「青く」というのは、「青みを帯びた目」という意味でしょうが、ポイントは青い色よりも「澄んだ眼」の方にあります。

作者はここで上の段に続く「ぱつとあなたの意識を正常にした」の状態を強調したい、つまり「澄んだ」が智恵子の意識が戻っており、それが狂った状態の智恵子ではなくて、正常な状態であるということを示しているのです。

 

あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが

死の間際の呼吸困難を詩的な表現である「嵐」に比喩で置き換えています。

 

かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

旧仮名で記された「かういふ」の読みは、現代語の「こういう」。

「もとの智恵子」というのは、発病前の正常な意識を持った智恵子という意味です。

そうして夫光太郎に愛情のこもった別れを告げるそぶりをしたということを、具体的な仕草よりも魂の交流ともいうべき、作者の側の感応として表されています。

 

「機関」は命のメカニズム

それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた

この部分は、人の死の最後の瞬間を描いています。

「山巓(さんてん)」は、現代語で置き換えれば山頂ということでしょう。

「機関」というのは言葉の置き換えで、心臓の鼓動と呼吸など、人が命を持っている間に動いている体の機能を指すのでしょう。

置き換える前の言葉は他にも、あえて言えば、臓器の総称や「肉体」ということになるかもしれません。

山を登ってきてすがすがしくも大きな息をつく、まるでそのような呼吸を最後に智恵子は息を引き取った。

最期の瞬間である死の訪れが、静かに清明に記されていることにも驚かされます。

 

レモンの強調

写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

 

写真は智恵子の遺影です。そこに桜の花、そして智恵子が死の間際にその手に握って愛でたレモンを、妻にお供えをするとともに、妻をしのぶためにそこに置こうという結末です。

この部分は、いわゆる「ズームアップ」の手法で、テレビなどでもよく見かけます。

写真には智恵子の面影が映っていますが、それを桜と共にややぼかした形にして、その前にあるレモンの方に焦点を当てて、ややカメラを近づけて大写しにするというもの。

それを言葉で表現、レモンと智恵子の位置関係を反転させた終わり方にして、題名に始まる「レモン」を詩の最初から最後まで通底させるという表現方法です。

 

なぜレモンなのか―象徴するもの

この詩の一番の疑問は、なぜレモンが使われたのか、レモンの表現するものは何かということです。

レモンは”生命と愛”

一言で言えば、レモンの表すものは、命の高揚とともに愛の高まりでしょう。

この詩の表現するものは、燃え尽きる前の命の高揚です。

レモンは生命の象徴ですが、そのレモンを智恵子に与えたのは、夫であり、その点でまたレモンは愛情の象徴でもあります。

なので、それを受け取った智恵子は意識が正常に戻り、そしてレモンを「がりり」と噛むような、命の力強さと健康を取り戻すのです。

その姿に、健康な若い時の智恵子と二人で山登りをした時の記憶が、作者によみがえります。

レモンの香気はその山頂の空気と同じ清澄なものです。

レモンとトパアズ色のその香り、山頂の清澄な空気、取り戻された健康な意識、それらの物に取り巻かれたように美しく妻の死を描くことは、ほかならぬ作者の愛であると言えましょう。

作者の願いの昇華

そしてまた、詩を通じて描かれているのは、智恵子が正常さを取り戻したということです。

「意識を正常にした」「 青く澄んだ眼」 「力の健康さ」 「生涯の愛を一瞬にかたむけた」、これらの表現はみな、智恵子の精神の回復を指します。

これは妻の発病以来の作者の哀しい願いでもありました。

作者光太郎は上のように智恵子を描くことで、また自らも慰められたに違いないのです。

私自身のこの詩の感想

妻が精神に異常をきたすという忌まわしい悲劇、さらなる妻の死という不幸を昇華させる美しい詩です。「狂った智恵子」は発病後は作者と十分な会話や意思の疎通はできなかったと思われます。最後の瞬間に作者の持参したレモンに応えて、「生涯の愛を一瞬にかたむけた」とする作者の言質はその上で大きな意味を持っています。あるいはこの時のレモンは現実的な意味では、妻に届きうる唯一の事物だったのかもしれません。

 

高村光太郎について

高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年〈明治16年〉3月13日 - 1956年〈昭和31年〉4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は高村 光太郎(たかむら みつたろう)。父は彫刻家の高村光雲。
日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。―出典: 高村光太郎 フリー百科事典wikipediaより

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