いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく 弓削皇子のこの和歌は額田王との問答歌として知られているものです。
弓削皇子と額田王の問答歌を解説します。
弓削皇子と額田王の問答歌
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弓削皇子が吉野に行幸した持統天皇と共に吉野入りした時に、京の都にいた額田王との間でやり取りした3首の歌です。
万葉集2巻の冒頭に問答歌として採録されているもので、一連のやり取りは下の通りです。
弓削皇子:いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く
額田王:古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと)
弓削皇子:み吉野の玉(たま)松が枝(え)ははしきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく
この記事では、一首目の弓削皇子の歌から解説します。
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いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く
読み:いにしえに こうるとりかも ゆずるはの みいのうえより なきわたりゆく
作者と出典
弓削皇子 万葉集巻2 111
意味:
過ぎ去った昔を思って鳴く鳥であるのか ユズリハの井戸のほとりを鳴きながら飛んで行く
句切れと表現技法
・2句切れ
・擬人法
・結句複合動詞 以下に解説
語句と品詞分解
・いにしえ…漢字は「古」。昔のこと。ここでは天武天皇の世を指す
・鳥…この後の額田王の返歌ではホトトギスと規定される
・かも…詠嘆の終助詞 「だなあ」
・弓絃葉(ゆづるは)…「ゆずり葉」は木の名前。ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木で、新しい葉が出て下の古い葉が順に枯れるため縁起物とされている。
・御井…よみは「みい」。井戸、水汲み場のこと。
・鳴き渡り行く…「鳴く+渡る+行く」
解説
弓削皇子が吉野に行ったときに、京にいる額田王に贈った歌。
鳥はこの後の額田王の返歌でホトトギスと返されている。すなわち季節は春。
持統天皇の吉野行幸の年は、持統4、5年ごろとされている。
天武天皇は弓削皇子の父で、「古」とは天武天皇の世のことを指している言葉。
「古に恋ふる鳥かも」の「恋ふる」の主語は鳥で擬人法、上二句で天武天皇の時代を回顧する表現となっている。
「いにしへに恋ふる鳥かも」の意味
上句「いにしへに恋ふる鳥かも」では、鳥の名前は明らかではなく、弓削皇子の
昔を思って鳴く鳥がいるのですが、この鳥が何かご存じでしょうね
という額田王への問いかけが含まれていると考えられる。
これは中国の故事に、蜀の望帝が退位後に復位しようとしたが、死んで叶わずホトトギスとなり、鳴き声は「不如帰(帰るにしかず)」と鳴いているという伝説があるため。
額田王は続く返歌で「古に恋ふらむ鳥は霍公鳥」として、これに応えている。
額田王の恋人
天武天皇は、大海人皇子のことで額田王と恋人、後の夫の関係にあり、弓削皇子の父に当たる。
歌の中の「弓絃葉の御井」は天武天皇の時代の物で、額田王にとっても天武天皇を思い出すよすがであったのだろう。
今や天武天皇が亡くなり持統天皇の時代となって、弓削皇子は皇位にはつかず、額田王は既に60歳代となっている。
そのような意味での昔の回顧が含まれている。
※次の額田王の返歌へ進む
弓削皇子について
弓削皇子(ゆげのみこ) 生年は不詳(637年とも)-699年
天武天皇の第九皇子。文武天皇3年(699年)7月21日に母や兄に先立って薨去。 27歳ごろとされる。
万葉集に八首の歌。他に柿本人麻呂に弓削皇子に献じた歌がある。
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