行きやらで山路くらしつ郭公今一声の聞かまほしさに 作者は源公忠。
きょうの日めくり短歌は、12月7日の期日にちなみ、源公忠の代表作として有名な和歌をご紹介します。
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行きやらで山路くらしつ郭公今一声の聞かまほしさに
現代語での読み:
ゆきやらで やまじくらしつ ほととぎす いまひとこえの きかまほしさに
作者
源公忠 みなもとのきんただ
平安時代の歌人で三十六歌仙の一人
出典
『拾遺集』『大鏡』
『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の白河院政期に成立したとみられる紀伝体の歴史物語。作者は不詳
現代語訳
そのまま通り過ぎることができず、山道で一日を暮らしてしまった。ほととぎすのもう一声が聞きたいばかりに
修辞
- 2句切れ 3句切れ
- 倒置
解説
ホトトギスの声に引かれる風流な歌人の思いを表す。
ホトトギスの鳴くのはおおむね、初夏とされる。
良い季節の山中を通行中に鳴いているホトトギスの声に耳を留めたが、それきり鳴き止んでしまったのであろう。
その声に心を引かれた作者は、目的地に向かうはずが足を止めて山の中で時を過ごす。
「今一声」と結句の「聞かまほしさに」に鳥の声を求める気持ちがあふれている。
語と文法
・「行きやらで」は「十分に…しきらない。最後まで…できない」の意味。
類語に「行きもやらず」。「言ひやらで」もある。
・「聞かまほしさに」の「聞かまほし」は連語。
「聞きたい。聞いてみたい」の意味で、「ほしさに」の「さ」で名詞形にしてている。
・「に」は、『原因・理由・目的』の格助詞。
簡潔に目的と理由を表して、倒置句を置いて余韻を残している。
歌の背景
この歌は源公忠が、承平3(933)年醍醐天皇の皇女康子内親王の御着裳の折に詠んだ屏風歌とされる。
『大鏡』の記載
『大鏡』には、この歌を詠んだ情景が下のように記される
このおほきおとどの御母上は、延喜(えんぎ)の帝の御女、四の宮と聞えさせき。延喜、いみじうときめかせ、思ひたてまつらせたまへりき。御裳着(もぎ)の屏風(びやうぶ)に、公忠(きんただ)の弁(べん)、
ゆきやらで山路(やまぢ)くらしつほととぎすいま一声の聞かまほしさに
とよむは、この宮なり。貫之(つらゆき)などあまたよみて侍りしかど、人にとりては、すぐれてののしられたまひし歌よ。
この部分の現代語訳は
延喜の帝、醍醐天皇の皇女で、女四の宮康子内親王を天皇は大変可愛がられ、御裳着のお祝いの屏風に、源公忠の右大弁が、
この山路を越えかねて、行きつもどりつしてしまった。ほととぎすの鳴き声をもう一度聞きたいばかりに。
と詠まれたのは、この内親王の御裳着の時のことだ。紀貫之など他にも多くの歌が詠まれているが、Lこの歌はすぐれたうたとして、特に評判となった。
源公忠について
源公忠 みなもとのきんただ
平安時代の歌人。三十六歌仙のひとり。光孝天皇の孫で大蔵卿国紀の子。宮廷歌人として活躍、賀歌,屏風歌などを多く詠進。この歌は『大鏡』に記されて賛辞を贈られている。