教科書の短歌

正岡子規のガラス障子と窓の問題がセンター試験に出題されました

正岡子規のガラス窓、正確にはガラスを入れた障子に関する問題がセンター試験に出題されました。

問題の内容と答えについてお知らせし、正岡子規にとっての窓の意義を考えます。

正岡子規のガラス障子の窓

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正岡子規のガラス窓に関する問題が、14日に行われたセンター試験の国語の問題に出題されました。

ちなみに、今回は51万人が出願したとのことですので、皆が正岡子規のガラス窓、正確にはガラス障子について考えたことになります。

受験の短歌については

受験と受験生の短歌

正岡子規については下の記事に

正岡子規について 近代文学に短歌と俳句の両方に大きな影響

 

センター試験の国語の問題

問題文は、柏木博の『資格の生命力―イメージの復権』と呉谷充利『コルビュジエと近代絵画―二〇世紀モダニズムの道程』の両方の論説文の文章を通して、正岡子規にとっての窓についての考察を問題文の引用箇所から捉えるというものです。

柏木氏の文章の方は、正岡子規の家のガラス窓の状況、子規の記した『墨汁一滴』を元に、板ガラスの日本での歴史に始まり、正岡子規にとってのガラス障子が「視覚装置」であると定義。

さらに、ル・コルビジェのいう視覚装置としての窓をという考え方を通して、子規にとってガラス障子がどのようなものだったのかを問う問題です。

センター試験の問題としてよりも、内容が極めて興味深いものだったので、一緒に考えてみたくなりました。

問題文そのものは、新聞または、読売新聞の記事 の方でご覧になれます。

 

正岡子規のガラス障子の問題1

最初の問題は、問題に引用された部分を要約すると、「寝返りさえままならかなった子規がガラス障子を通してにわの植物や空を見ることが慰めだった」。

そして、「障子の紙をガラスに入れ替えることで、子規は季節や日々の移り変わりを楽しむことができた。」

この記述に対して、

「子規は季節は日々の移り変わりを楽しむことができた」とあるが、それはどういうことか。

というのが問題です。

この答えは③の

病気で寝返りも満足に打てなかった子規にとって、ガラス障子を通して多様な景色を見ることが生を実感する契機となっていたということ。

というものでした。

もっとも、正解ではない

① 現状を忘れるための有意義な時間になっていたということ。

② ガラス障子から確認できる外界の出来事が自己の救済につながっていったということ。

であったとしても、あながち間違いではないかもしれません。

 

正岡子規のガラス障子の問題2

次の問題は

「ガラス障子は『視覚装置』だといえる。」とあるが、筆者がそのように述べる理由として最も適当なものを、次から選べ。

で、その答えは ②の

ガラス障子は、室外に広がる風景の範囲を定めることで、外の世界を平面化されたイメージとして映し出す仕掛けだと考えられるから

というものでした。

子規のガラス障子というのは、庭に面した掃き出し窓のことで、通常は180センチほどの高さの障子ということになりますが、その風景が窓となるとそのフレームを通して風景を切り取ることとなります。

窓の縁(エッジ)が、風景を切り取る、窓は外界を二次元の平面へと変えるつまり、窓はスクリーンとなる。

通常は3次元として眺める空間が、一枚の絵のように2次元化され、平面化される、そのように目に映すための窓を「視覚装置」と名づけています。

 

正岡子規のガラス障子の問題3

そしてもう一つ、子規にとってのガラス障子の意義を問うのが次の問題にみられます。

生徒A、B、Cの対話で、子規にとってのガラス窓が、

「これらの文章を読むと○○○○と解釈できるね」

との○○の部分を問う設問への答えは③の

病で自由に動くことができずにいた子規は、所作にガラス障子を取り入れることで動かぬ視点を獲得したと言える。そう考えると、子規の書斎もル・コルビジェの言う沈思黙考の場として機能していた

この沈思黙考とは何かというと、設問の文章Ⅱ 呉谷充利『コルビュジエと近代絵画―二〇世紀モダニズムの道程』より、ル・コルビジェの言葉として

かれは初期につぎのようにいう。「住宅は沈思黙考の場である。あるいは「人間には自らを消耗する<仕事の時間>があり、自らをひき上げて、心の琴線に耳を傾ける<瞑想の時間>とがある。

との部分に関連を持たせたものです。

ここから、正岡子規にとっての、ガラス障子は住宅と同じく、「沈思黙考の場」であると結論付けているというのがこの設問の答えでした。

 

正岡子規のガラス障子の画像

正岡子規のガラス障子について考える前に、まずは子規の住まいの正岡子規の実際のガラス障子の様子を以下の画像よりご覧ください。

問題文の中では、正岡子規にガラス窓をすすめたのは高浜虚子と記されています。

また、当時は日本には板ガラスがなかったため、この板硝子は輸入品であったとの推測が述べられています。

 

正岡子規のガラス障子の記載

正岡子規自身がこのガラス障子について記した部分を抜き書きして、子規がガラス障子とともにどのように生活をしていたかを確かめてみましょう。

正岡子規の仰臥の様子

今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同じであるが、昨夜に限つて殆ど間斷なく熟睡を得た爲であるか、精神は非常に安穩であつた。顏はすこし南向きになつたまゝちつとも動かれぬ姿勢になつて居るのであるが、其儘にガラス障子の外を靜かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇つた空は少しの風も無い甚だ靜かな景色である。

実際に子規が寝たままそれ以上に体を動かすことができなくても、「其儘にガラス障子の外を靜かに眺めた」としてガラス障子を通して外を見ていたことがわかります。

「静かに眺めた」というのは、身動きをしないまま視線だけを外に向けたということなのでしょう。

続けて、そこからとらえたその日の天候を記しています。

正岡子規の写生の技法

さらに見てみると、下のような記述も見られます。

母来りて南側のガラス障子の外にある雨戸をあけ窓掛を片寄す。外面は霧厚くこめて上野の山も夢の如く、まだほの暗きさまなり。庭先のはげいとうにさへ霧かかりて少し遠きは紅の薄く見えたる、珍しき大霧なり。(中略)終りてガラス戸の方を向くに霧漸ようやく薄らぎ、葉鶏頭の濡れたる梢こずえに朝日の照る、うつくしく心地よし。

下線部「庭先のはげいとうにさへ霧かかりて少し遠きは紅の薄く見えたる」は、単なる情景の描写というには詳しく、この部分は殊に「写生」という子規の技法そのものであることがわかります。

この「写生」はアララギ派の短歌の主要なコンセプトであり、その観察はガラス障子を通して行われています。

ガラス障子は子規の物事の本質を捉えようとする観察を可能にするものであり、子規の芸術と歌論に欠かせないものであったのです。

正岡子規と命の時間

もう一つ大切なことには、ガラス障子は、病人の子規にとってもっと大切な「時間」を感得させるに役立ったのではないかと思われる箇所に下のような記述を見出すことができます。

日光はガラス戸ごしに寐牀の際まで一間ほどさしこみて、午時は近づきたり。心地よくしかも疲れを覚ゆ。再び枕に臥して飯を待つ.。

一日中寝たきりである病人にとって、時間の感覚を得るのはけっして容易なことではありません。

陽の光がどこに当たっているのか、部屋が明るいか暗くなるかによって、子規は一日が過ぎていく時間性を保持することができました。

起き上がることができず、昼夜痛みに苦しむことがある病人にとって、庭の景色が美しいかどうか以上に、時間や日月の経過の意識を保つことは大切なことであったと思います。

時間の経過がわかること、一日の区切りがわかること、季節の移ろいを感じること――これが窓の景色以前に光や熱として感じられることで子規に与えられたものは、病人が人間らしくあるためにもっとも大切なものであったと思います。

ガラス障子は確かに、子規の慰めとしても子規の芸術につながるものとしても大切なものであったのは間違いありません。

しかし、子規は常人とは違って何年も重病のを抱えて療養する病人でした。

常伏(とこぶし)に伏せる足なへわがためにガラス戸張りし人よさちあれ

這って窓べに行くことさえできなかった正岡子規。

ガラス障子はその子規が命を保つために最も根源的なところで有益に機能していたのではないかと思う時、私たちはまた命の不思議さにも思い当たるものと思います。




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