北へ行く雁のつばさにことづてよ雲のうはがきかきたえずして
源氏物語の作者である、女流歌人紫式部の代表作の和歌の現代語訳と解説を記します。
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北へ行く雁のつばさにことづてよ雲のうはがきかきたえずしての解説
読み:きたへゆく かりのつばさに ことづたえよ くものうわがき かきたえずして
作者
作者:紫式部 むささきしきぶ (978〜1014)
出典
新古今和歌集 離別歌 859
紫式部集
現代語訳:
北へ帰ってゆく雁の翼に言伝を頼んでください。これまで通りに手紙の上書きを書きやめることがないようにと
句切れと修辞
- 3句切れ
- 倒置
語の意味
- ことづてよ・・・「ことづける」の命令系
- 上書き・・・手紙の などの表面にあて名・表題・名称などを書くこと
- 書き絶えず・・・「書く」+「絶ゆ」(基本形)の複合動詞 「ず」は打消しの助動詞
- して・・・手段・方法を表す格助詞
和歌の背景
源氏物語を記した紫式部の代表作和歌の一つ。
紫式部の姉が亡くなり、もう一人妹を亡くした知人と親交があったが、住まいが互いに遠く離れることとなり、これからも手紙をかわしあおうという意味の歌。
新古今集では「離別歌」に分類されている。
一首の意味は、「どうぞ手紙を送ってください」という内容だが様々な想像的な表現がみられる。
この和歌の詞書
この歌の詞書は
姉なりし人亡くなり、また人の妹(おとと)失ひたるが、かたみにあひて、亡きが代りに思ひ思はむといひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書きかよひけるが、おのがじし遠き所へ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて
詞書の現代語訳
(紫式部の)姉であった人が亡くなり、また人の妹を亡くした人が、互いに出会って、亡くなった姉妹の代わりに思い思われようと言った。表書きに「姉君」と書き、「中の君」(二番目の姉妹)と書き合ったが、それぞれ遠いところへ行き別れることになって別れを惜しんで
贈答歌と返歌
この詞書に続けて上の歌
北へ行く雁のつばさにことづてよ雲のうはがきかきたえずして
と返歌「行きめぐりたれも都にかへる山いつはたと聞くほどのはるけさ」が続く。
このような形式の歌は贈答歌と呼ばれている。
※源氏物語の贈答歌については
源氏物語の和歌について
和歌の言葉の意味の解説
一首の中には紫式部独特の想像的な表現がみられる。
「北へ行く」の意味
北へ転居をしたのは紫式部がおそらく父に伴って越前に転居。
歌を書き送った相手も、「西の海」の詞書からおそらく九州へ行ったと思われる。
そのため、南北を移動する雁が浮かんだと思われる。
「雁のつばさ」の意味
雁は、冬に飛来する渡り鳥で、その翼に言づけるというのは中国の故事による。
前漢の時代の蘇武(そぶ)という人が、捕らえられた時に、雁の脚に手紙を結んで漢の天使に消息を知らせたという故事がある。(『漢書』蘇武伝)。
そこから「雁の使い」や「雁書」との言葉が生まれた。
紫式部はここでは、「雁のつばさ」、続く「雲の上書き」というファンタジックな表現に言い換えている。
「雲の上がき」の意味
「雲の上書き」の上書きは本来手紙の表書きのこと。
ここでは、雁が雲の上をはばたくというイメージに置き換えており、作者独特の想像を加えた表現となっている。
離別の悲哀
当時は現代に比べて遠距離の移動がはるかに困難であり、雁のような自由に遠くを移動できる生き物への思い入れは今とは比べるべくもなかったろう。
それを念頭に置いて読むと、雁とその象徴する手紙は単にファンタジックなだけではなく、二人の心の絆を強く訴えるものとなっている。
作者紫式部について
紫式部 (むささきしきぶ)
生年978年~1014年
紫式部は、本名は藤原香子(ふじわらの かおるこ/たかこ/こうし)とされています。
藤原為時(ふじわらのためとき)の娘で、藤原道長の要請で宮中に上がり、一条天皇の中宮彰子に女房、つまり女官として仕えました。
身分の高い女性である上、大変な才女で、代表作である『源氏物語』の他にも『紫式部日記』、百人一首に採られた他に和歌が多く詠まれており、歌人としても活躍。
中古三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人にも選ばれています。