わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまのつり舟 百人一首11番の参議篁の和歌の現代語訳と一首の背景の解説を記します。
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わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまのつり舟 参議篁
読み:わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
作者と出典
作者:参議篁 (さんぎたかむら) 小野篁も同じ
出典:小倉百人一首11 『古今集』羈旅・407
現代語訳:
広い海原の多くの島々を目指して、今船を漕ぎだしたと京都の人に伝えてください。漁師の釣り船よ
・・
語と句切れ・修辞法
一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です。
句切れと修辞法
- 4句切れ
- 倒置
- 擬人法
語句の意味
・わたの原…海、海原をさす
・八十島…「八十」は「たくさんの」の意味
・つげよ…命令形
・あまの…「海人」(あま)は漁師を指す
解説
この歌は小野篁が罪人として沖ノ島へ立つ際に読んだ和歌です。
作者は遣唐副使に任命されましたが、唐の国に行く船の上で、太子の藤原常嗣(ふじわらつねつぐ)と揉め、仮病で乗船を拒否した上、遣唐使を風刺する詩をつくり、沖ノ島へ流罪となりました。
上の歌は、「漕ぎ出でぬ」と自ら出航するような雄々しさをもって表れていますが、実は意に反して流刑地に赴く時のものであり、 行く先は隠岐の島でした。
その孤独感や寂しさ、悲しさは表されてはいませんが歌の後ろにおし隠されたと見るべきでしょうか。
その解は歌に詠まれている「人」が誰かという点にありますが、これが京都の人々ならば女性とも思えますが、「人」が恋人という説もあり、相手に心配をかけまいとする面がはたらいたものかもしれません。
また、当時の距離感で中国に行くよりは、沖ノ島の方がまだ近かったのは間違いないところです。
この「人」は、さらに「人に」と伝聞の形をとり、直截に呼びかけているのは、「つり船」の擬人法です。
呼びかける相手が、人ではなく舟であるところに、作者の孤独が浮かびあがります。
百人一首の中でも、異例の状況が背景にある歌です。
なお、小野篁は、二年後、その文才を惜しまれて帰京を許され、諸官を経て、承和十四年、参議に就任しています。
小野篁のプロフィール
小野篁(たかむら) 802~852年
漢学者 遣唐副使に任命されたが、遣唐大使と対立して沖に流罪となった。のちに許されて出世。
小野篁の他の和歌
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく(古今335)
思ひきや鄙のわかれにおとろへて海人のなはたきいさりせむとは(古今961)
しかりとて背かれなくに事しあればまづ嘆かれぬあな憂世の中(古今936)