吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを
石川郎女の万葉集の代表的な和歌を鑑賞、解説します。
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吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを
読み:あをまつと きみがぬれけん あしひきの やまのしずくに ならましものを
作者
石川郎女 万葉集 1巻 108
現代語訳
私を待っていてあなたがお濡れになったという山のしずくに私がなりたいものです
句切れと修辞
句切れなし
語と文法
・濡れけむ…「けむ」は過去の推量で、訳は「だったのだろう」
・足引きの…読みは「あしひきの」 枕詞で「山」にかかる
・しづく…旧字の「づ」は「ず」。現代語の「しずく」。水の粒
「ならましものを」の品詞分解
・「なら」…「なる」が基本形の動詞 ラ行四段活用…(別の状態に)なる。 変わる
・「まし」…反実仮想の助動詞「まし」の連体形
・「ものを」…詠嘆の終動詞
解説と鑑賞
石川郎女の機知に富んだ返答の歌で、その一つ前の歌と対にして理解する必要がある。
石川郎女の応答の歌
詞書に「石川郎女が和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首」とある。
その詞書が示す通り、この歌は応答の歌であるので、そのひとつ前に問いの歌があり、それが「大津皇子(おおつのみこ)の、石川郎女に贈りたまへる御歌一首」、その歌が
足引の山のしづくに妹待つと吾が立ち濡れぬ山のしづくに
というもの。
意味は
あなたを待つとて、私が立っている間に山のしずくに濡れてしまった。その山のしずくに
万葉の時代は、夫婦や恋人は別居しており、男性が女性の家の門に立って待っているのだが、一番鶏が鳴くまで家に入れてくれなかったので濡れてしまったという内容になる。
男性の側からの不満と恨み言を述べるというものだが、あくまで和歌であるので、美しくまとめられている。
石川郎女と大津皇子の歌の対応
石川郎女の歌は、上の皇子の贈答歌(ぞうとうか)に応えるための、応答の歌となる。
そのため、皇子の歌の言葉を繰り返す下のような対応がみられる。
「妹待つと」に「吾を待つと」と対応させ、「足引の山のしづく」はそのまま繰り返し、皇子が「吾が立ち濡れぬ」(私が濡れてしまった)は、「君が濡れけむ」(あなたがぬれたのだろう)とそれぞれ対応させる。
そうすることで、贈答の歌に対する応答の歌であることが一目でわかるものとなっている。
その上で、前者が提示した「山のしづく」、「その山のしづくに(私が)なりたい」ということで、相手の意、つまり、歌に示された恋心、会いたいという願望に応えるものとなっている。
斎藤茂吉の『万葉秀歌』解説より
斎藤茂吉は『万葉秀歌にこの歌を取り上げて、以下のように評している。
石川郎女の和え奉った歌は、「吾を待つと君が沾れけむあしひきの山の雫にならましものを」(巻2・108)というので、その雨雫になりとうございますと、媚態を示した女らしい語気の歌である。郎女の歌は受身でも機智が働いているからこれだけの親しい歌が出来た。共に互の微笑をこめて唱和しているのだが、皇子の御歌の方がしっとりとして居るところがある―「万葉秀歌」斎藤茂吉著
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石川郎女の他の和歌
遊士とわれは聞けるを屋戸貸さずわれを還せりおその風流士
わが聞きし耳に好く似る葦のうれの足痛くわが背勤めたぶべし
古りにしおみなにしてやかくばかり恋に沈まぬ手童の如
春日野の山辺の道を恐なく通ひし君が見えぬころかも
石川郎女について
大和・奈良時代の女流歌人。万葉集に同名の七人が登場するが、実在したのは三人から五人とする説が有力。複数の相手と時には、2人同時にやり取りした和歌が残されているため、恋多き女ともいわれるが、一説には、教育係のような立場にあった女性ではないかともいわれている。
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