『一つのメルヘン』は作者中原中也の有名な代表作の詩です。
教材にも掲載される『一つのメルヘン』の詩の意味と表現技法の解説を感想とあわせて記します。
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『一つのメルヘン』とは
『一つのメルヘン』は中原中也の歌集『山羊の歌』に収録された、中也の代表作の一つです。
以下が詩の全文です。味わいながら読んでみましょう。
※他の教科書の詩の解説は
教科書の詩 教材に掲載される有名な詩一覧
『一つのメルヘン』全文
一つのメルヘン 中原中也
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
『一つのメルヘン』の意味
メルヘンとは、ドイツ語の メルヘン 綴りは Märchenで、意味は「おとぎばなし。童話」ということです。
一般的なメルヘンは、空想的・神秘的な内容の短い説話であることが多いです。
『一つのメルヘン』の形式
この詩の形式は、4連の口語自由詩です。
中原中也の詩は、57調という整った調子を持ったものが多いのですが、この詩は自由な字数と形式で書かれているのが特徴です。
『一つのメルヘン』の表現技法
4連のうち3連目を除いてすべての連に「さらさら」の擬音が繰り返されています。
先に言うと、さらさらするものは、最初はあり得ない秋の夜中の陽の光であり、硅石のような非常な個体の粉末となり、最後にはそれまではなかった川床の水の流れとなります。
「さらさら」がそのように他のものと結びついて形を変えて進んで行くことで、詩が統一感を失わないままに、起承転結が構成されていくのです。
『一つのメルヘン』の背景
「メルヘン」というタイトルからは牧歌的な印象を受けますが、背景にあるのは、中原中也の失恋の体験です。
中原中也は17歳の時、山口県から東京に引っ越しするのと同時に、長谷川泰子という20歳の女性と一緒に住む同棲を始めます。
ところが、東京へ行くと長谷川泰子は、親友であり、詩の友達でもあった小林秀雄と恋愛関係になり、中也の家から出て行ってしまいます。
東京で知る人もいない作者は一人ぼっちになってしまいます。
作者の思い
その時の作者の思いは、
・失恋の悲痛
・恋人に去られた孤独感
・親友に裏切られたとの思い
・世間的な劣等感
などが、ないまぜになっていたと思われます。
『一つのメルヘン』の解説
詩を段ごとに詳しく読んでいきます。
一 つの メルヘン あらすじ
1連目から4連目の流れをいうと
河原の風景⇒蝶の登場⇒再び河原の風景と変化
ということになっています。
1連ずつ詳しく読んでいきましょう。
1連目の情景
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
1連目のあらすじ
最初の部分の5W1Hを読み取るとおおむね下のようになるでしょう。
- いつ・・・秋の夜
- どこで・・・はるか彼方の河原
- 誰が・・・主語は「陽」
- どのように・・・「さらさらと」
「はるか彼方の」の意味
作者は一連目で、河原の場所とそこに陽が差しているという現象を表しています。
しかし、これが架空の情景であることはよく読むとわかります。
なぜなら、この時は「秋の夜」であるにもかかわらず「陽が射している」というのですから、いったいこれは何の光なのかという疑問が生まれます。
さらに河原の場所について作者は「はるか彼方の」としています。
イメージの中の河原ですが、作者は「はるか彼方の」としているところにも着目すべきでしょう。
「さらさらと」の擬音 オノマトペ
最も印象的なのが「さらさらと」の擬音です。
この「さらさら」は詩の一番最後まで通底しており、この詩に大きな効果をあげています。
2連目の解説と分析
続く2連目の本分です。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
一連目で生じた疑問を作者は、「陽」について説明することで補うかのように視覚的な情報を与えています。
「硅石」とは
ここでも大きな疑問となるのが「硅石」という特殊な言葉です。
珪石は、ケイ酸質の鉱物や岩石を資源として扱うときの鉱石名。鉱物としては石英、岩石としてはチャート、珪質砂岩、珪岩、石英片岩などがある。外観は白っぽいものが多い。―出典:珪石 フリー百科事典wikipedia
硅石は、一般的には「珪石」の漢字で記されるようです。
外国語でよく聞くのが「シリカ」という名称です。
岩の一種なのですが、作者はそれを「粉末」であるとしています。
詩の比喩表現
その粉末が「さらさらと」音を立てながら、「小石ばかりの、河原」に「陽」として射しているというのですから、この部分は作者の何らかのイメージを比喩的に表していると思われます。
陽光が細かい粉末であり、さらさらと音を立てる
物として登場しています。
おそらくこの「物」は何らかのほかの物の置き換えか、他の物からのイメージの複写です。
ここで個人的に思い出すのは、中原中也の「おしろい」という詩の中の言葉です。
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでせうか。
その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや、
その時は白粧をつけてゐてはいや。
恋人の白粧(おしろい)をなぜ嫌ったのかはわかりませんが、その感触が何か「いや」だったのには違いありません。
そして、「さらさら」は光の明るさではなくて、本来は「音」または、手触りの感触を表すことばであり、それが「視覚」として、共感覚的に用いられていることに注意するべきでしょう。
1連目では「はるか彼方の」河原であるにもかかわらず、そのさらさらの音が耳元に聞こえているかのような、ちぐはぐな描写に表されている距離感があります。
また、生き物は何もいないにもかかわらず、「さらさら」の流動性と、聴覚的な刺激を含めて、読者にはわからないながら作者が何物かの具体ではなく、イメージを表現していることが伝わります。
3連目の分析
3連目にはその情景にはじめて生命を持つ蝶が登場します。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
起承転結の「転」
「さて」というのは、場面の転換に使われる言葉で、起承転結の「転」を作者が意識しています。
蝶の登場
そこにはじめて「蝶」がとまった。
もちろんこれは、作者の心の幻視のような情景であることがはっきりしてきたわけですが、この「蝶」は何でしょうか。何の象徴と考えるべきでしょうか。
蝶の役割
- いつ・・・秋の夜
- どこで・・・はるか彼方の河原の小石の上に
- 誰が・・・蝶が
- どのように・・・「淡い」「くっきりとした」影を落とす
ここにも2連目に見られたちぐはぐな描写がみられます。
「淡い それでいて くっきりとした」
という部分です。
視覚的に実際に目に見える物で「淡い」「くっきりとした」という矛盾する描写を持つものはありません。
なので、これも作者の心の中に生じた何ものかと理解することができます。
蝶の役割は「小石の上に影を落とす」ということで、それが作者の心に響く何かであることを「くっきりした」の強調が示唆しています。
4連目の解説と分析
最後の一連です。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
影を落としていた蝶は見えなくなります。
すると、それまで水がなかった川に「水がさらさらと流れる」というのが結末です。
要約すると
蝶が来て影を落とす⇒蝶が見えなくなって川床に水が流れる
今度はこの「さらさら」は、川の水が流れる時の擬音として、本来の修飾に近い使われ方をしています。
『一つのメルヘン』の解釈
詩には正解はありません。なので、その詩から各自が感じるものが正解です。
詩の理解は言葉である必要はありません。
というよりも、詩それ自体が「言葉」ではないのです。
作者の詩のことばによって詠む人の胸のうちに呼び起こされるもの、それが詩です。
紙に記された文字の羅列、これは詩の入れ物であり器です。
その器の中身は、あなたの胸の内に満たされるものです。
『一つのメルヘン』の私の解釈
恋人長谷川泰子との別離は中原中也に大きな失意と、新たな詩のモチーフを呼び起こしました。
「一つのメルヘン」もやはり恋人の不在を歌うものでしょう。
「秋の夜」はいつ
「秋の夜」は作者が追憶にひたるその時間です。
なので、「夜なのに陽光がさす」というのは作者の心のイメージです。
「はるか彼方」にある河原というのは、恋人との距離感を表します。
泰子はこの時は親友の小林秀雄と暮らしていたのですが、離れてしまっても中也は泰子を思い出さないではいられない。
そのもいでは、恋人の感触などの具体的な記憶を含むものです。
「さらさら」のオノマトペ
「さらさら」は一つの物に冠される擬音ではなく、幻聴のような「さらさら」の反復は記憶の払い難さと持続性を表す一方で、恋人に付随するおしろいの手触りのような触感とも関連があるようです。
実際に目の前にいるのではない記憶の中の恋人の存在は、「淡い、それでいてくっきりとした
影」として、中也の胸によみがえります。
「ああ、そうだ、もういないのだった」として「蝶の不在」を思い出す時に、中也は何かを体感する。
それが「川の流れの水」の比喩です。
悲しみの涙とも新たな思慕の情とも、そのような感情が「川の流れ」のあらわすものでしょう。
※中原中也の悲しみについて小林秀雄が記したものは、下の記事をご覧ください。
私自身のこの詩の感想
繰り返される「さらさら」は詩の音調を整えて、タイトル通り一見メルヘンチック、童話的な印象を与えますが、中也の内心はどうだったでしょうか。恋人との別離を経て、大きな挫折を経験した後の、作者の悲しみが詩の主題だと思われます。
一つのメルヘンは比喩が大半を占めるわかりにくい詩の一つです。恋人との別離後の中原中也の詩はいずれもがその出来事の影響を受けています。
他の詩には、直接に悲しみをうたったものもありますが、この詩は作者独特の象徴的な比喩表現や、置き換えを含みます。
小林秀雄との三角関係は、大きなスキャンダルめいて取り上げられることが多いのですが、中也がまだ17歳のときのことで、いわば青春の蹉跌に過ぎません。
よくも悪くもその出来事を主題にして多くの詩が生まれています。
詩人という人は喜びも悲しみも共に食らって生きている、そういう生きものなのでしょう。
中原中也について
中原中也 なかはらちゅうや 詩人
1907年明治40年山口県生まれ 山口県内の山口中学を落第後、京都に転校。長谷川泰子と知り合い上京。1年後泰子と別離。日大予科に入学するも退学。東京外語専修科入学。修了後郷里で遠縁の女性と27歳の時結婚。長男出生するも2年後死亡。神経衰弱で入院。結核性脳膜炎で30歳にて死去。 詩集『山羊の歌』昭和9年。
『山羊の歌』は習作時代のダダイズムの詩から脱却、破滅的な生の倦怠と自意識に耐え、苦悩する魂の放浪を物語る青春譜。フランスの詩人ヴェルレーヌに心酔し、弟子のランボーに擬したため、「日本のランボー」と呼ばれた。『在りし日の歌』は昭和13年没後刊行。―出典:「日本の詩歌」より―出典:「日本の詩歌」年譜より