人はよし思ひ止むとも玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも
万葉集の最初の挽歌ととも言われる倭大后(やまとのおおきさき)の和歌の現代語訳、解説と鑑賞を記します。
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人はよし思ひ止むとも玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも
読み ひとはよし おもいやむとも たまかずら かげにみえつつ わすらえぬかも
作者
倭大后(やまとのおおきさき)
出典
巻2-149.
現代語訳
人はたとえ忘れることがあっても、私だけは天皇の君の面影をけして忘れない
句切れと修辞
- 句切れなし
語と文法
- 人・・・自分以外の人を指す
- よし…とも・・・「たとえ~としても」
- 思ひ止む・・・思うことをやめる。「忘れる」の意味
- 玉鬘・・・枕詞
- つつ・・・反復の助動詞
「忘らえぬかも」の品詞分解
- 忘る (わする)が基本形の未然形
- え・・・打消しの助動詞「ず」の連用形
- ぬ・・・完了の助動詞
- かも・・・詠嘆の終助詞
解説と鑑賞
壬申の乱の天智天皇の逝去に、高級の女性たちが詠んだ挽歌9首のうちの一首。
作者について
作者の倭大后は後宮の女性の一人となる。
668(天智7)年に中大兄皇子が天智天皇として即位した際に大后なった。
しかし、その4年後の672年、智天皇は46歳で崩御、その際長歌を含む4首の挽歌を記したうちの一首。
和歌の意味
玉鬘(たまかずら)は日陰のつる性の植物が本来の意味で、影にかかる枕詞。
「影」というのは、相手の姿の陰影、影法師のことで、相手が亡くなっていないのだが、その幻影を感じるという意味なのだろう。
天皇との絆
后は父の古人大兄皇子を天智天皇に殺されたという出来事があり、それでもこのような強い意志を示す挽歌を詠んでいるところに着目すべきであろう。
なお、后は天皇との間に子供はいなかったのでもとより正妻でもなく、身分が高かったわけではないが、夫である天智天皇との間に強い愛情のつながりが生まれていたことが推察される。
長歌の挽歌
倭大后にはこの後、長歌の挽歌がある。
鯨魚とり近江の海を沖さけて漕ぎ来る船辺つきて漕ぎ来る船沖つ櫂いたく撥ねそ辺つ櫂いたくな撥ねそ若草の夫の思ふ鳥立つ
長歌の読み
いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎくるふね へつきて こきくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさのつまの おもふとりたつ
長歌の意味
鯨を取るような大きな近江の海、その沖遠くから漕ぎ来る船よ、岸近くに漕ぎ来る船よ、沖船の櫂よ、ひどく波を立てないでおくれ、岸船の櫂よ、ひどく波を立てないでおくれ、夫がいとしんだ水鳥が飛び立ってしまうから
倭大后の他の歌
天の原ふりさけ見れば大君の御寿みいのちは長く天あま足らしたり(2-147)
青旗の木幡の上をかよふとは目には見れども直に逢はぬかも(2-148)