「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」中学校の教科書に掲載されている、若山牧水の有名な短歌代表作品の現代語訳と句切れ、表現技法などについて解説します。
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教科書の短歌の記事案内
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「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ若山牧水短歌代表作品 現代語訳と句切れ,表現技法の解説」
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
作者:若山牧水 歌集「海の声」「別離」 複数の歌集に重複して収められている
現代語訳:
いくつの山と川を越えてゆけば、この寂しさの消える国にたどりつくのでしょうか。その地を求めて今日も旅に行くのです。
語の意味と文法解説:
・幾山河・・・読みは「いくやまかわ」
・越えさり行かば・・・「越える」+「去り行く」「…ば」は仮定。「~行ったならば」
・終てなむ・・・「終(は)て」は動詞「終(は)つ」の未然形 「な」は強意の助動詞 「む」は婉曲表現の助動詞。「はてるだろう国」の意味。
・「ぞ」は、係助詞の文末用法。「疑問」を表す。ここでは「あるのだろうか」。「ある」の部分は省略されている。
・国は、「地域」の意味がある。
表現技法と句切れ:
・4句切れ
・反語表現
※「はてなむ国ぞ」は、反語的な表現で、「あるのだろうか・・・ないに違いない」という結論であり、「終てる国」を想定することで、作者のはてることのない内心の寂しさを対比させて提示している。
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解説と鑑賞
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」の背景から述べます
一首の成り立ち
早稲田大学在学中、実父の見舞いを兼ねて帰省した折の旅の歌。
九州宮崎の家に帰省するのに、中国地方を通る道を初めて選び、岡山、広島を旅した折に詠まれ、解説書には以下のように背景が記されている。
その旅を勧めたのが、岡山の中学校に学んだ有本芳水という早稲田の学友で、詩作、作歌を共にしていた詩人で、明治40年6月、東京・上野で「車前草社」の会があったとき、芳水が牧水に、宮崎へ帰省の際にはぜひ途中で岡山に寄って中国地方を歩いてみないかと勧めたという。
宮崎へ向かう途中の4泊5日の旅であった。
明治40年夏の有本芳水宛の葉書には、この歌の制作についてが書き送られ、次いで、この歌を含む牧水の代表作2首が以下のように記されている。
牧水の手紙によると
君のすすめで、岡山に来て、駅前に一泊した。翌日は草鞋脚絆に身を堅め、浴衣がけで、雑嚢を肩にし、湛井までは汽車、それからは徒歩で高梁にて一泊。それから阿哲峡に来て渓流を眺めた。新見からは西に折れ、備中備後の国境の二本松峠に来たが、ここで日が暮れた。山寺がありその前に熊谷屋という旅人宿があったので、ここに泊まることにした。
寝床に入ったが、寂しさが身に沁みて寝つかれない。夜ふけの山中はただ風の音と、谷川のせせらぎが聞こえるばかりである。さびしさのあまり歌ができた。けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く
幾山河(いくやまかは)こえさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく
「はてる」の字について
「はてる」の字は、最初は「はてる」の平仮名であり、後に「果てる」「終てる」他が当てられて、「終てる」とされたらしい。
与謝野晶子もそうだが、旅に行くと歌ができるという性向の歌人がいる。
たとえば、斎藤茂吉などは、旅中の作品はそれほど重要なものとされていないし、本人も日記程度のものとして愛着が薄かったようである が、若山牧水は明らかに前者の「旅の歌人」であって、そのキーワードが上の一首目の歌の「あくがれ」であった。
「あくがれ」とそしてそれを求めて出ていった旅の先の「さびしさ」、それが数々の牧水の歌を生んだことは作品において証されている。