白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水  

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【解説と解釈】白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水

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白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

若山牧水の有名な短歌代表作品、「白鳥」と「青」の対照が鮮烈な一首の現代語訳と句切れ,表現技法などについて解説します。

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白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

読み:しらとりは かなしからずや そらのあお うみのあおにも そまずただよう

作者

若山牧水 歌集「海の声」「別離」 重複あり

現代語訳

白鳥は哀しくはないのだろうか。空の青い色にも海の青い色にも染まらずに漂っている

句切れと表現技法

2句切れ 「や」は終止形+助詞

「哀しからずや」品詞分解

・哀しからずや…「哀しかり」(形容詞「哀し」のカリ活用+打消しの「ず」+疑問の「や」)で「哀しく+ない+か」の意味になる

「空の青」「海のあを」

「空の青」「海のあを」は対句。

漢字とひがらなについては、短歌は同じ漢字を繰り返し使用せず、重複を避けるため、ひとつが平仮名になっている

「染む」の意味と読み

・染む(そむ)…染まる。しみ込んで色がつく。

「しまず」の読みも考えられるが、若山牧水自身のルビが「そまず」。

 

解説

この歌は、「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」と並ぶ、若山牧水の代表作となっている。

若山牧水が早稲田大学在学中に詠まれたとされる。

一首の背景

当時牧水は、卒業後に文学の道に進むかどうかを迷っており、自分がどこに属すべきかの迷いがあった。

また、牧水はこの後の短歌のモチーフとなる、園田小枝子という女性と知り合い、苦しい恋愛を味わっていた。

この女性を牧水は独身だと思っていたが、実際には結婚をしていたので、牧水の求めには応じかねていたという事情があり、牧水は彼女の言動から絶えず不安を喚起されていたといえる。

「空の青海のあをにも」を、職業の選択とととらえる読み方もあるが、この歌集に収録されている作品の多くには恋愛のモチーフで統一されているといってよい。

そのためこの歌に関しても、決着のつかない恋愛をめぐる不安定な心のありようと関係が深いと思われる。

心境の不安定性

「白鳥はかなしからずや」には、園田小枝子に対するそのような問いかけの気持ちから思いついたものかもしれない。

愛情を注いでも十分に答えてはくれない女性に向かって、作者である牧水は寂しさを感じている。

それに重ねて、「あなたはさびしくはないのですか」と問う気持ちである。

そのような背景があり、白い鳥の本来の白さを、空の青さにも海の色に「染まらない」と見立て、容易に同化できない歌人の孤独な心境が投影されているとも、また、牧水から見て相手の定まらなさを投影したものともいえそうだ。

もちろん、短歌作品のすべての事物についてを解き明かす必要はなく、「これが何」という式の当てはめではなく、そのような心境にあった作者が、ふと上記の景色に出会った時に、そのような着目をしたという点にこそ注意を払いたい。

牧水のさびしさと「あくがれ」

下に詳しく述べるように、牧水は終生「さびしさ」にとらわれており、そこから逃れられなかったと表現する家族もいる。

また、「あくがれ=憧れ」は、牧水を旅に駆り立てた要因であり、その作品を語る上での重要なキーワードともなっていることも付記しておく。

一首の言葉につい

白鳥の読みと、結句の「や」についてはやや議論があるところとなっている。

白鳥の読みは「しらとり」

初版本では「はくちょう」となっていたが、これは印刷上の不備ではなかったかということを佐佐木幸綱が指摘している。

だとすると、「白鳥」は「しらとり」と読みたい。また声調上もその方がふさわしいと思われる。

「や」は疑問

「哀しからずや」の「や」は反語ではなく、疑問であることを、歌人の大辻隆弘氏が強調している。

反語と疑問の違い

「や」は反語にも、疑問にも使われることがあるが、反語の場合は、「悲しいとは思わないのですか。いや思わないだろう」という帰結までを含む。

疑問は、そのまま「思わないのですか」の問いかけのままで終わる。

「からずや」は、現代語に置き換えた場合、「思わないのか。いや思わないだろう」そのように若干微妙な訳として示される。

 

この歌の多様な解釈の可能性

ここから先は、この短歌のもっと詳しい解釈とその可能性について記していく。

まずは、下の3点から解説する。

・白鳥が飛んでいる場所について

・鳥の種類は白鳥ではなかった

・白鳥の読みは「しらとり」

白鳥が飛んでいるのはどこか

この白鳥は空を飛んでいるというのが一つの解釈であるが、歌人の俵万智は以下のように説明している。

俵万智さんは、早稲田大学で佐佐木幸綱先生に師事したが、佐々木氏のこの歌の講義を受けた時のことを、次のように書いている。

「海に漂う白鳥」の可能性

これまでの注釈書のほとんどが飛翔説をとっているとのことだが、佐佐木先生の解釈は違った。飛んでいるとすると視線の動きが大きく慌ただしい感じがする。『染まずただよふ』という表現からは、もっとゆったりと『ながめ』の時間を過ごしている印象がある。よって「海に浮いている」という考えだった。さらに『孤独』を読みとるには一羽という見方もできるが、それではむしろ端的すぎる。牧水の孤独は、もう少しカオスを持った猥雑な感じのもので、二、三羽いたほうが牧水らしいのではないか、というものだった。―俵万智著『牧水の恋』より

 

私はこの「白鳥」は「ただよふ」というからには、空をふんわり飛んでいるとばかり思っていた。

むしろ「ただよふ」であれば、水に浮いていてもいいわけだと、新たな可能性にあらためて気づかせられる。

 

白鳥というのはカモメ

また、佐佐木幸綱氏は、この白鳥というのは、実は「かもめ」らしいとも述べている。

その頃の牧水は、鳥や植物の名前などはろくろく知らなかったようで、後年の歌集においては、植物や鳥の具体名を詠み込むようになったそうである。

カモメと白鳥では大きな違いがあるが、もちろん、牧水自身は「白鳥」と信じていたのだったのあかもしれない。

「白鳥」の変遷

なお、この歌は初出においては、「白鳥」は「しらとり」ではなく、「はくてふ-はくちょう」とのルビが振られていた。

もちろん、だからといって白鳥そのものを指すかどうかは定かではありません。

さらに、明治40年12月『新声』における初出時は

白鳥(はくてふ)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずたゞよふ

というもので、海と空との順序が逆になる。

「青」を示すものは、初出においては「海の青」が先で、「そら」はその後で平仮名だったことがわかる。

そして、今の完成形「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふは、明治41年の第一歌集『海の声』のものであり、この歌は、さらに第三歌集の『別離』にも収録されて広く世に知られることになった。

歌の主題の問題

この歌で牧水が表したかったのは何だろうか。

これまでに挙げられているのは、下の通り。

1.恋の不安

2.潜在的な孤独感

3.文学の道の自責

「恋の不安」との解釈

もうひとつ、この歌の表すものの解釈としては、「恋の不安」を表現しようとしたものだという説がある。

ただし、この歌そのものは恋人と実際にこの海辺を訪れるより1年前に詠まれており、この歌は、その心境を強化して表すために一連の中に後から組み込まれたものらしい。

つまり、いずれの説明に関しても、「恋の不安」をその時点で表現しようとして詠まれたものではなく、そのために歌集を編集するときに加えられたということを前提としている。

牧水の妻が指摘する「孤独」

佐佐木幸綱は「恋の不安、恋するゆえの孤独」を表現したいためだと解釈し、島津忠夫も恋の狂喜を詠む眼を「一転する時」、「その澄み渡った愛恋の眼の底には、怖ろしいまでの孤独の悲しみが戦慄となって襲ひかか」り、「白鳥」の歌を「歌はずにはをれない、悲痛な本然の我れに帰るのであった」という若山喜志子の解説を引用しながら、同調を示している。(http://www.cf.ocha.ac.jp/archive/ccjs/consortia/8th/pdf/8th_consortium_abstract14.pdf)

若山喜志子は、若山牧水の妻で、一番の理解者ともいえるが、上の説だと恋愛のさなかにあっても、拭い去れなかった孤独が牧水には会ったことを示している。

「文学を続ける自責」

一方、「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は共に牧水が大学4年の時の作品であるため、元々詠まれた時点での心境としては、「東京で文学を続けていくことへの自責の念」を示唆するものもある。

「文学への思いや、周囲の期待を裏切ってしまったこと、懐かしい父母への愛情などが入り混じり、帰りたくても帰れない故郷への痛切な望郷の念」(https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/05_senjin.html

あるいはそれが恋愛以上に牧水を旅へと駆り立てるものであったのだろうか。

終わりに

以上、若山牧水の代表作短歌のベーシックな解説から、さらに多様な解釈の可能性を含めてまとめてみました。

個人的な見解を言えば、この時期の牧水の最大の関心事はやはり恋愛ではなかったか。白鳥は恋人園田を置き換えたものであり、空と海の青にも染まらない」というのは、牧水に応えないで孤高にも見えるその人の不可解な態度でゃなかったかとも思われる。

この「海」への旅行時は、実は園田と牧水は二人だけの旅行ではなかった。後に園田と懇意であることがはっきりする、もう一人の男性の存在もあったことも最後に挙げておきたい。

 

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