盛岡の中学校の露台(バルコン)の欄干(てすり)に最一度我を倚よらしめ
石川啄木『一握の砂』の短歌代表作品にわかりやすい現代語訳をつけました。
歌の中の語や文法、句切れや表現技法と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。
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盛岡の中学校の
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
読み:もりおかの ちゅうがっこうの ばるこんの てすりにもいちど われをよらしめ
現代語訳と意味
盛岡の中学校のバルコンの手すりに、もう一度私をよらしめよ
句切れ
・句切れなし
語句と表現技法
・露台…そのまま読めば「ろだい」だが、ここは「バルコン」とのふりがながある。バルコニーのこと。
・欄干・・・そのまま読めば「らんかん」。同様に「てすり」のルビがある。
・最一度・・・読み「もいちど」。意味は「もう一度」に同じ。
「我を倚らしめ」の品詞分解
「私を(そこへ)寄らせてください」の意味の文語。
「しめ」は使役の助動詞。基本形「しむ」の命令形。
意味は、[~せる・~させる]ここでは「させてください」の意味
解説と鑑賞
石川啄木の第一歌集『一握の砂』の「煙」の章にある作品。
啄木の短歌の中でも広く知られたものとなっている。
青春の学校時代の追想が主題で、学校生活を送った皆が深い共感を覚える普遍的な情景が表されている。
学生生活が「懐かしい」という形容はないのだが、「倚らしめ」と希う気持ちが一種の詠嘆となっている。
「の」の連続と上下句の対比
初句は「盛岡の中学校の露台の」と「の」が3回続いて、「欄干(てすり」の一点に集約してく。
「最一度我を倚らしめ」の4.5句には、二度とは帰らない青春を惜しむ気持ちが表されるが、場所を指し示すだけの上句に対して、下句の心情がより強く強調されている。
中学校を中途退学した啄木
啄木自身について言うと、啄木は中学校5年生の2学期に盛岡中学校を中途退学している。
啄木はある意味、学校を無理に離れなければならなかったので、過ぎ去った中学時代への愛惜のの気持ちがより強まったと思われる。
この章「煙」の同じモチーフの歌には、「己が名をほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへるすべなし」がある。
単に過ぎ去った時が戻せないという以上に、やはり「かへるすべなし」という気持ちには、上のような不本意ながら学校を去らなければならなかった啄木の心情が透けてみえる。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」も同じ青春期の追想だが、その前後には、「師も友も知らで責めにき 謎に似る わが学業のおこたりの因 」「 悲しみといわば言うべき 物の味 吾の嘗めしは余りに早かり」などと、退学の事情を示唆する歌もある。