親といへば我ひとりなり茂二郎 生きをるわれを悲しませ居よ 窪田空穂作。
今年も終戦記念日が近づいています。
きょうの日めくり短歌は、窪田空穂の戦死した次男を詠う作品をご紹介します。
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親といへば我ひとりなり茂二郎 生きをるわれを悲しませ居よ
作者は窪田空穂。出典は歌集「冬木原」
親といへば我ひとりなり茂二郎生きをるわれを悲しませ居よ 窪田空穂はシベリア抑留で次男が戦死 早く妻を亡くした空穂が詠んだ歌【日めくり短歌】 #短歌 https://t.co/h2ntKy3cRj pic.twitter.com/VsC03hzCQc
— まる (@marutanka) August 14, 2020
作者窪田空穂は、シベリアに抑留された次男、茂二郎が戦死したという知らせを受けます。
その悲嘆の気持ちを現したのが上の歌です。
妻を亡くした窪田空穂
なぜ「親」が「我ひとり」なのかというと、窪田空穂は、妻を早くに亡くしています。
妻を亡くした空穂の分ちあうことのない悲しみ、そして、息子から見ても、たったひとりの親であることが、より悲しみを深めているのです。
そして、亡くなった二人と対比して、「生きをるわれ」という言葉があります。
亡くなった人には悲しみもない。生きている私だけが悲しいのだが、それはやはり、息子への親としての愛情ゆえの悲しみである。
息子を思う時には、永遠の悲しみが途切れることはない。なので、「悲しませ居よ」と息子にその気持ちを呼び掛けています。
亡くなったとしても、親子の絆は切れることもない、それゆえの悲しみです。
そしてさらに、
この露地の東の果ての曲りかど茂二郎生きてあらはれ来ぬか
と息子の面影を歌の中に追うのです。
子を戦地に送った親たち
当時、子どもを戦地に送って亡くした人は、どれだけいたのでしょうか。
それらの人にとっては、「終戦」といっても悲しみが終わるわけではなかったでしょう。
毎年めぐってくる終戦記念日も、どんなにか悲しい日であったことが思われるのです。
明日は、終戦記念日。戦争の短歌を静かに鑑賞しましょう。
それではまた明日!
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