うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我(あ)が見む
大伯皇女(おほくのひめみこ)が、謀反の罪に問われた大津皇子の葬りの後に詠んだ、万葉集の代表的な短歌作品の現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説します。
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うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我(あ)が見む
読み:うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたかみやまを いろせとあがみん
作者と出典
大伯皇女 (2-165)
現代語訳
一人この世に生き続ける私は、明日からは弟の眠るあの二上山を弟と思って見続けよう
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語句と文法の解説
・うつそみ…「うつせみ」に同じ、「この世の人」の意味。
「現し」と人の意味の「おみ」をあわせた語とされる
・人なる…「人である」の意味。「なる」の基本形は「なり」
われや…見む 品詞分解
・や…「や・・・む」は詠嘆的疑問の係り結び
係り結びの解説
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
いろせとわが見む
・いろせ…同母の弟のこと
・「と」は「~として」の意味
句切れと修辞について
・2句切れ
2句までで切れ、下句の「わが」が主語
・係り結び
解説と鑑賞
一首の解説と鑑賞を記します。
大伯皇女と大津皇子姉弟
題詞に「大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬るときに大伯皇女の哀傷して作らす歌二首」とある。
二首のうちの1首目。
大伯皇女は、大津皇子の姉の皇女。大津皇子は同母の弟です。
大津皇子の「大津事件」
大津皇子は天皇の崩御の二五日後に、謀反の罪でとらえられて、翌日に処刑されました。
歌の詠み手である、姉の大伯皇女は、別離の際の和歌を2首、斎宮より京に替える時に二首、大津皇子の葬りの際にも二首を残しています。
大津皇子は、謀反の罪に問われて刑死(自害とも伝わる)したために、正式に葬ることを許されなかったようで、埋葬がようやく認められたその折に詠まれた歌とされます。
「明日よりは」の意味
「明日よりは」は、葬りが終わった明日からは、の意味ですが、「別離の悲しみを永遠のうちに定着させる」表現だという指摘があるとおり、独特の時間の詠まれ方です。
あるいは、葬りの済むまでは、この身とまだ共にあった弟であり、土に埋めるという手続きで、そこではっきり死別の別離の意識が湧いたとも思われます。
「うつそみの人なるわれや」
「うつそみの人なるわれや」は、下の句に「わが」というよりも強い表現で、「諦念のごとき心境」(斎藤茂吉)との指摘もありますが、
やはり、ここで冥界の弟とはっきり線を引く表現であり、「明日よりは」は、さらにそれを重ねたものと思われます。
死者との、距離でもある「場」の隔たりにさらに、時間的な隔たりとを並置しているのです。
その上で、「二上山」に弟を置き換えて、生きている自分自身のこれからも続く時間を「見む」において暗示しています。
たった一人の肉親を失った深い喪失感と、切ない愛慕の情が漂う、印象的な上句です。
二上山は埋葬地か
斎藤茂吉は、「明日よりは」に「今日が葬りだった」としています。
他にも、二上山が埋葬地であると思われがちな点に対しては、万葉時代に山頂に埋葬するということは、まず考えられず、この点は、歌の伝承ともされています。
むしろ、山を思うととみるというのは、都から見渡すことのできるその山を、弟の代わりにせめて毎日眺めていたいという「ゆかりを求める心情」との解説があります。
「や・・・む」について
「や・・・む」は詠嘆的疑問の係り結びとされるが、詠嘆とする釈迢空の説もあります。
二上山の場所
〒583-0992 大阪府南河内郡太子町山田
二上山は、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。
かつては大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれた。
万葉集解説のベストセラー
万葉集解説の本で、一番売れているのが、斎藤茂吉の「万葉秀歌」です。有名な歌、すぐれた歌の解説がコンパクトに記されています。