湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす 斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作  

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湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす 斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作

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斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『つゆじも』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

『つゆじも』全作品のテキスト筆写は斎藤茂吉「つゆじも」短歌全作品にあります。

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湯いづる山の月の光は隈(くま)なくて枕(まくら)べにおきししろがねの時計(とけい)を照(て)らす

湯いづる山の月の光は隈(くま)なくて枕(まくら)べにおきししろがねの時計(とけい)を照(て)らす

歌の意味と現代語訳
湯が沸き出るこの山の月の光は隅々まで照りわたり、枕元に置いた銀の時計をも照らしている

出典
「つゆじも」大正9年 温泉獄療養

歌の語句
隈なく…基本形「隈なし」の形容詞。陰になるところがない。▽光がすみずみまで照らしているようす。
枕べ…枕辺、枕のあたり、枕元
しろがね…銀色のこと

表現技法
句切れなし
字余り多数、推測される句切れは「7.7.5.13.7」
結句は現在形

鑑賞と解釈

長崎において6月3日に喀血。その後入院して7月2日に長崎病院を退院後に自室で療養。
島木赤彦が見舞いに来て、温泉で療養することを勧めたため、雲仙で療養することになった。

「大正九年七月二十六日。島木赤彦、土橋青村二君と共に温泉嶽(おんせんだけ)にのぼり、よろづ屋にやどる。予の病を治せむがためなり。二十七日赤彦かへる。二十八日青村かへる」との詞書きがある。

一首は藤原実定がうたった今様の
「ふるき都を来て見ればあさぢが原とぞあれにける月の光はくまなくて秋風のみぞ身にはしむ」(平家物語)
に基づく。

佐藤佐太郎は、「茂吉三十首」の中にこの歌を入れている。

塚本邦雄の評

塚本邦雄はこの歌を次のように評している。

「しろがねの時計」は抜群である。私は新進銅版画家のとある個展の、薄ら明かりに置かれた佳品を連想する。一首にはそれ以外例えようのない一種の冷ややかな潤いと、乾いた叙情性を含んで、ひそかに発光している。

斎藤茂吉の自解

「月の光はくまなくて」の句は、平安朝の今様から来て、私は幾たびも使い。冨士見の歌にも箱根の歌にもあるが、個々でも使っている。この3首は、悲しいさびしい心境にいて作ったので、歌の優劣などはあまり念頭に置きがたい時だと思うが、今となってみれば捨てがたい味わいのあるものである。
傾いた月光が畳の上まで差しこんでくるが、まだ沈みきらずに、時計のところまで差しているところである。温泉は海洋に近い山だから、「はるかに月は傾きにつつ」の感じがあるのである。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

作者の言う3首の残りの2首は次のもの。

まくらべに時計と手帖置きたるにいまだ差しくるあけがたの月
起きいでて畳のうへに立ちにけりはるかに尽きは傾きにつつ

佐藤佐太郎の評

初稿は「湯いづる山の月の光はくまなくて枕べのしろがねの時計をてらす」でほとんど変化がない。。「湯いづる山」は文字通り温泉の噴出している山だが、「温泉嶽」という地名からみちびかれていることはいうまでもない、そして固有名詞であるよりもかえって何か暗示的な陰影を帯びることになった。

こうして一句が七音になったが、そのために下句の声調がやや軽く感じられるので、四句を「枕べにおきし」とし、五句を「しろがねの時計を照らす」と十二音にして一首の声調を整えたのであろう。

計らいのないのびのびとした言い方のうちに静かな香気がただよっている。いつだったか、作者は「つゆじも」にもなかなかいい歌があるといって、この歌を挙げて私に話したことがあった。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

温泉嶽療養
この道は山峡(やまかひ)ふかく入りゆけど吾(われ)はここにて歩(あゆ)みとどめつ
うつでみの命(いのち)を愛(を)しみ地響(ちひび)きて湯いづる山にわれは来(き)
たまたまは咳(しはぶき)の音きこえつつ山の深きに木(き)こる人あり
あそぶごと雪のうごける夕まぐれ近やま暗(くら)く遠(とほ)やま明(あか)し
遠風(とほかぜ)のいまだ聞こゆる高原(たかはら)に夕さりくれば馬むれにけり
湯いづる山の月の光は隈(くま)なくて枕(まくら)べにおきししろがねの時計(とけい)を照(て)らす
起きいでて畳(たたみ)のうへに立ちにけりはるかに月は傾(かたむ)きにつつ
幾重(いくへ)なる山のはざまに滝のあり切支丹宗(きりしたんしゆう)の歴史を持ちて
たぎり湧(わ)く湯のとどろきを聞きながらこの石原(いしはら)に一日(ひとひ)すぐしぬ
ひぐらしは山の奥がに鳴き居(を)りて近くは鳴かず日照(ひて)る近山(ちかやま)
わがあゆむ山の細道(ほそぢ)に片(かた)よりに薊(あざみ)しげれば小林(をばやし)なすも
多良嶽(たらだけ)とあひむかふとき温泉(うんぜん)の秋立つ山にころもひるがへる
石原に来たり黙せばわが生(いのち)石のうへ過ぎし雲のかげにひとし
曼珠沙華(まんじゆしやげ)咲くべなりて石原へおり来(こ)む道のほとりに咲きぬ
この山を吾(われ)あゆむとき長崎の真昼(まいる)の砲(はう)を聞きつつあはれ
わたつみの方(かた)を思ひて居(ゐ)たりしがくれたる途(みち)に佇(たたず)みにけり
石の上吹きくる風はつめたくて石のうへにて眠りもよほす

 




-つゆじも

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