朝日新聞日曜版の連載に、宗教学者の山折哲雄さんが、石川啄木の「心」に注目したコラムを書いておられました。
それを読んで、石川啄木の短歌に使われる「心」という言葉の数が、極めて多いことに気がつきました。
「心」の詠まれている石川啄木の短歌はどのようなものか、そして、なぜ啄木は「心」を多用したのか、あらためて考えてみたいと思います
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石川啄木の「神童のイメージ」
山折哲雄氏の書く、石川啄木が、朝日新聞の短歌投稿欄「朝日歌壇」の選者を務めていたというのは初耳でした。
啄木は初め校正係として朝日新聞に就職。
三行書の短歌を作りはじめ、1910年に歌集「一握の砂」を刊行。それが評判になったため、朝日新歌壇の選者に抜擢されたということです。
山折氏は啄木について次のようにいます。
啄木と言えば神童のイメージだ。だが同時に、高慢、不倫の匂いも立ち上る。今日の不倫騒動の煽りか、地元岩手における啄木の評価は何とも芳しくない。人気の頂点に近づいている宮沢賢治と比べ、若者たちに対する吸引力ももう一つだ。
しかしながら、 私の身内などは、「短歌と言ってまず思い浮かべるのは誰か」と聞くと、 即座に「石川啄木」と答えます。
そして実際に書架にも『一握の砂』が立てかけてある。本人曰く「短歌をやらない人でも誰も知っているよ」というのですから、その人気は不動のものとも言えるでしょう。
石川啄木には「心」の短歌が多い
そして山折氏は、啄木の短歌の中にある「こころ」という言葉の使用例の大きさに気がついています。
「こころ」の言葉が、「その言葉とその雰囲気がどのページも繰っても顔を出す」というのです。
実際に歌で確かめてみましょう。
石川啄木の「心」の短歌例
山折氏のあげるこころの歌は
死ね死ねと 己を怒りもだしたる 心の底の暗きむなしさ
薄れゆく 障子の日影そを見つつ こころいつしか暗くなりゆく
いと暗き 穴に心を吸はれゆく ごとく思ひてつかれて眠る
他に思いつくものとしては
愛犬の 耳斬きりてみぬあはれこれも 物に倦うみたる心にかあらむ
或る時のわれのこころを 焼きたての 麺麭(ぱん)に似たりと思ひけるかな
病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも
そして、最も有名な啄木の心の歌は
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
で、ありましょう。
山折氏はこの歌をめぐっては
啄木の「こころ」は時に時に人を殺したくなるような暗い穴を覗かせていたが、同時にみずみずしい「十五の心」を見せることもあった。それがガラスの破片の輝きのようにはかないことも承知していた。啄木歌集は心の、ウラとオモテ、その明暗をあますところなく見せてくれる。
なぜ啄木は「心」という言葉を多用したのか
そもそも、啄木はなぜ「こころ」を歌の中に多用したのでしょうか。
その膝に枕しつつも我がこころ 思ひしはみな 我のことなり
「一握の砂」の最初には、「我を愛する歌」という表題がついているぐらいで、啄木という人は、ある意味、自己に忠実でありました。
悪く言えば、啄木自身が言うように「利己の一念を持てあます」というところもあったようです。
啄木が自己を俯瞰していう時の表現
啄木のいう「こころ」とは、あるいは啄木の「おのれ」のことであり、啄木自身が自己をやや俯瞰していう時の表現であったかもしれません。
自分自身が、今これこれの気持ちだ、というところを「こころ」と置き換えてみる。
「私が私が」というよりは、ずっと感じが良く、そして、また感情というものが、あたかも、己を離れたところにある、別の崇高なもののようにも思われてくる。
表現としては効果的ですが、啄木の場合は、単に手段としてではなく、実際にもそのように、みずからの心を、別格として、何より大事に思うところがあったのではなかったでしょうか。
興味の対象が外の事柄よりも、自分の内面にこそあり、啄木は、その己の感情を描写してやまなかったとも言えるでしょう。
詩人としての資質
自分の感情を何よりも大切に感じるということは、一般には「利己」であり、山折氏が「故郷では評判が悪い」というのも、そのような資質に因するものだったかもしれません。
しかし、それはまた詩人として捨てがたい啄木の資質でもあり、そうして、「一握の砂」には、啄木の「こころ」の断片を示す歌の数々が並ぶところとなったのでしょう。