石川啄木

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる/石川啄木/意味と句切れ

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「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」

石川啄木の歌集「一握の砂」より有名な短歌代表作品、一首の現代語訳と句切れ,表現技法などについて解説します。

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東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

読み:とうかいの こじまのいその しらすなに われなきぬれて かにとたわむる

作者と出典

石川啄木 『一握の砂』 冒頭の作品

初出「明星」明治41年7月号

現代語訳と意味:

東海の小島の磯の白い砂浜の上で、私は悲しみに耐えかねて泣きぬれながら蟹と涙を流しながら蟹と戯れている

語の意味と文法解説:

・東海の…モデルは函館の大森浜とも言われるが、漠然とした地を指すとも思わられる

・小島…北海道そのものを「東海の小島」と考える人もいる(金田一京介の説)が、象徴的な意味としてもよい

・われ…「わたし」を指す代名詞。「わたしは」の「は」に当たる助詞は省略されている

・泣きぬれて…泣く+濡れる 涙にぬれたという意味

・たわむる…「戯れる」の文語の基本形

表現技法と句切れ:

句切れはありませんので、「句切れなし」

 

解説と鑑賞

石川啄木の歌集『一握の砂』の冒頭に置かれた作品。

北海道から上京、創作に失敗して本郷区の赤心館という下宿屋に苦悩の日々を送っていた時の作品。

金田一宛の手紙に

思い切って旧い歌は捨てたが「東海の」は、棄て兼ねた。棄てた旧い歌の代表にこれを取って一番先に付け加えて置いたのだ

との言葉がある。

「蟹に」と題する詩

これに先行する「蟹」の作品として、「蟹に」と題する詩がある。

「東の海の砂浜の
かしこき蟹よ、今此処を
運命の浪にさらわれて(後略)」

この部分からも、「東の海」は函館の海である大森浜を指すとする説が有力である。

ただし、啄木の娘婿他からこの歌について、「大森浜から砂山には蟹は一匹たりとも生息していない」という証言が複数あり、

舞台は大森浜ではないという説も信ぴょう性が高い。

よって、実際の風景がどこかではなく、一首については、この歌を製作した時点、それと歌集の冒頭に組み入れたそれぞれの時点において、象徴的な理解をすることが望ましいと思われる。

「東海の小島」のモデルについて

「東海の小島」がどこかについては、様々な解釈がある。他に目についた解釈をあげる。

亀井勝一郎の解釈

函館生まれの亀井勝一郎は、この歌について

「函館は、元は本当に小島であったが、砂の堆積で現在のごとく陸続きになったという。今では大きな市街になっているので目立たないが、地上から見るとやはり小島の感じが残っている。
啄木が東海の小島と歌ったのもこの感じであろう。そして不思議なことに、20年も離れてこちらから思い出すと、幻のように浮かび上がってくる国境の姿はやはり小島だ」

と述べていることも、興味深い。

「小島」とは何か

山本健吉は、この「小島」について、亀井勝一郎の上記の解釈をあげた後、さらに次のように言う。

これはダブルイメージなのである。彼が読んで感激し、手紙まで出した、ヨネ・ノグチの詩集『東海より』の「東海」、すなわち日本である。大志を抱きながら、日本という小さな島国に縮こまっていなければならないの嘆きが、北海流離の悲愁に重なってくる。「東海の小島」とは最果ての国の流離感が生み出したイメージで、具体的には大森浜だということになる。

『一握の砂』について石川啄木の日記

石川啄木自身の日記には、この歌と組み合わせて歌集に編纂された43年時の歌の作歌の次第については、次のように記されている。

「昨夜枕についてから歌を作り始めたが、興が刻一刻に盛んになってきて遂々徹夜。夜があけて、本妙寺の墓地を散歩してきた。たとえるものもなく心地がすがすがしい。
興はまだつづいて、午前11時ごろまで作ったもの、作者120首の余。そのうち百ばかり与謝野氏に送った」

というものであり、それぞれの歌が、熟考されて作られたとは考えにくく、いずれも、文字通り「興にのって」作られたものが多数を占める。

その冒頭に、「東海の」の「旧い歌」が置かれたという構成になっている。

この歌集を編んだ時の、赤心館時代の啄木は、1年前に直面した北海道の漂泊の体験に、現在の自らの心を重ね合わせたのであろう。

なお「蟹」というのは、初出の詩においては、「東の海の砂浜のかしこき蟹よ」となっている。その蟹は「運命の浪にさらはれて」ということは、蟹は、その時北海道を流離していた啄木自身である。

この歌集に、この歌を冒頭に置くにあたっては、「蟹」は短歌」だと考えることもできる。

その「蟹」を相手に、一晩戯れてみる気になったのである。それが「一握の砂」の始まりであった。

とはいえ、「東海=部屋」「蟹=短歌」という単純な置き換えではなく、その時の啄木の居た場所、それまでの回想、その時書いているのは歌、という状況や心境と、啄木の心に浮かぶものの総体とこの一首とがパラレルな相関を成していると考える。

「われ泣きぬれて」の意味

小説家になろうとして、大作の小説が書けず挫折した啄木にとって、短歌はそれに比べると取るに足りない小さなものであったのだろう。

真面目に取り組もうとはせず、短歌を文学とも認めていなかったようなところがある。そのため、歌を詠むこと自体、啄木にとって喜ばしいことではなかった。「われ泣きぬれて」というのはそういう意味だろう。

しかし、啄木が最後にたどり着いた「東海の小島の磯の白砂」、つまり、挫折と漂泊の底にある心境において、あたらめて浮かび上がり、最後のよりどころとなった短歌という詩型は、こうしてまぎれもなく啄木の声を我々に伝えるものとなったのだった。







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