万葉調とは何か 歌人と作品の例  

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万葉調とは何か 歌人と作品の例

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万葉調や古今調という和歌の特徴を表す言葉がありますが、そのうちの万葉調とはどういったことを指すのでしょうか。

各歌人の述べた「万葉調」の定義含め、万葉調について解説します。

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万葉調とは何か

「万葉調」というのは万葉調の歌に特徴的な調べや表現、内容を指します。

一言でいうと、”素朴・雄渾で格調が高い”こととまとめられます。

 

「万葉調」は万葉の時代より後になってから、後世の歌人たちが万葉集の特徴を指していう時や、近代以後の歌人の特徴をとらえて、「万葉調」という時にも用いられる表現となっています。

特に近代以後の歌人の場合は、実際に万葉集に使われていた万葉の時代の古語が用いられていること、また、主題などの内容が万葉集と共通していることなどがあげられます。

万葉の時代ではない歌人が詠んだ歌に万葉集の特徴の類似がみられた場合に、「万葉調」と評するものです。

 

賀茂真淵の万葉調の定義「ますらをぶり」

最初に万葉集の特徴をとらえて「ますらをぶり」と名づけて表したのが、江戸時代の国学者で歌人の賀茂真淵(かものまぶち)です。

「ますらお 益荒男」は男性のことで、古今調の歌を女性的である「たおやめ 手弱女」と表したのに対して、万葉集の歌を「男性的である」とその特色を一文字で表したものです。

「ますらをぶり」は今でも万葉調のキーワードの一つと言えますが、具体的には「男性的でおおらかな歌風」ということです。

賀茂真淵自身はこの「ますらをぶり」を和歌の理想に掲げており、「万葉調」は賀茂真淵の「ますらをぶり」も包括している言葉と言えます。

解説記事:
「ますらをぶり」と「たをやめぶり」賀茂真淵のいう意味と作品例

 

万葉調のポイント

万葉調の特徴は以下のようにまとめられます。

内容全般

・男性的な「ますらをぶり」

素朴・雄健で格調が高いこと

・具体的で率直

・おおらかな調べと大づかみな感情表現

題材と主題

・生活における素朴な感動や実感など

・率直な求愛は心情の表現

短歌技法の特徴

・2句切れ・4句切れが多い

・枕詞や万葉語の使用

 

万葉調の歌人の例

万葉調と言われる歌人は、時代別におおむね下のような人がいます。

鎌倉時代 源実朝
江戸時代 賀茂真淵 平賀元義 良寛,橘曙覧(あけみ)
明治時代 正岡子規 伊藤左千夫
それ以後 島木赤彦 斎藤茂吉 会津八一

 

万葉調の歌の例

万葉調の歌の例をあげてみます。

万葉語を使った和歌

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも

源実朝の歌。「常にもがもな」は万葉集にある言葉で、「のようにあってほしい」の願望を表す万葉集に特徴的な表現です。

万葉集には大伴家持の「雪の上に照れる月夜に 梅の花折りておくらむ愛しき児もがも」や、「君が行く道の長手(ながて)を繰り畳(たた)ね焼き滅ぼさむ天の火もがも 狭野茅上娘子(さののちがみの おとめ)」の歌が同じ表現を用いており有名な歌となっています。

同じく万葉集に学び、源実朝の歌も好んだ斎藤茂吉にも「しづかなる安楽律院(あんらくりつゐん)の昼のひかり山にわがよの過ぎむすべもがも」という作品もあります。

これらの歌は、異なる時代にあっていずれも万葉集に特有の言葉と表現を用いています。

そのため、その特徴をとらえて「万葉調」とされるのです。

万葉調の長歌

もう一つ、万葉調の調べ(歌の調子)や言葉がわかるものとして、伊藤左千夫の長歌の一部をあげます。

「そぐへなき 大海原 見はるかす 八千重蒼浪 空ひたし 陸山呑みて 神のます 天なる雲と 人が乗る 水なるふねと 世の中に 二つのみこそ ぬば玉の 夕さりくれば 天の門は 真澄にすみて(後略)」-太洋之歌 伊藤左千夫

万葉集の長歌にならって作られたと思われます。

ざっとみて「神のます (神のいらっしゃる)」という表現、これも万葉集に特有のものです。

また、詠まれている風景が広大でいかにもおおらかです。

伊藤左千夫は小説『野菊の墓』の作者でもありますが、その書き出しの現代語文

「後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余よも過去った昔のことであるから…」

と比べると、文体の違いはもちろん、万葉調の印象が伝わると思います。

伊藤左千夫は、正岡子規から万葉調の写生を重んじる歌風を受け継ぎ、意識して万葉調に学ぶ歌を作っています。

「万葉調」は伊藤左千夫だけではなく、近代アララギの歌人に見られる特徴の一つでもあるのです。

 

 

各歌人の唱える「万葉調」

以下に、「万葉調」についてアララギ派の歌人が述べた部分をご紹介します。

島木赤彦の「万葉集」の説明

島木赤彦の述べる「万葉調」というのは歌の調べに重きを置いたもので下のように述べています。

「柔らかきものは柔らかきに緊張して居り、強きものは強気に緊張して居り、暢(のび)やかなるは、暢やかなるに緊張しておらねばならぬのでありまして、その緊張の快適に現れているのが万葉集でありまして、左様な歌の調子を我々は万葉調と唱えているのであります。」
(『歌道小見』島木赤彦「歌の調子 つづき」)

中村憲吉の「万葉調」

一方、中村憲吉の場合は「万葉調」を、歌の技法やスタイルでもありながら、むしろその第一義を「作家態度」としても考えていたようです。

「我々が子規を祖述するいはゆるアララギ歌風とは、もとより万葉調の復興と写生精神の唱道とである。万葉調といってもそれはただ、言語口調の模倣をいふのではない。万葉人の作歌精神の根本に立ち返り、その作家態度をもって吾人の態度とすることである

写生説とはこの万葉人の作家態度精神を実行の上から具体的に説いた主張である。すなはち対象の実相に即しその核心にふれ、如実に自己の感動を表現するの謂(いひ)であって、その対象が自然界なると、自身内部の動乱なるとを問はず、この態度をもって表現することによって生命直写の歌が生まれるとするのである。」-出典:「アララギ二十五年」中村憲吉

以上、万葉集の特徴と、後世の歌人のとらえる万葉調の内容について解説しました。




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