万葉集 令和

大伴旅人「梅花の宴」の短歌解説/我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも

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令和の語源となった万葉集の「梅花の歌三十二首」から、序文の作者であり、万葉集の主要な歌人である、大伴旅人の短歌を読んでいきたいと思います。

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「梅花の宴」と大伴旅人の役割

「梅花の歌」「梅花の宴」の読みは、それぞれ「ばいかのうた」「ばいかのうたげ」、大伴旅人は「おおとものたびと」と読みます。

九州に赴任した大伴旅人

大伴旅人は、元々奈良の都におりましたが、60歳を過ぎてから九州の太宰府というところに、大宰帥(だざいのそち)として、赴任することになりました。
旅人は歌人である以前に、豪族、後の世の武士のような人で、九州の地において日本の守りにつく責任者という役職につくことになったのでした。

しかし、妻を連れてせっかく遠い九州まで行ったものの、妻は早々に亡くなってしまいます。旅人はひとりさびしい心持を抱えながら、その地で、同じく九州に赴任した山上憶良と共に、歌をたくさん作り、歌の宴を催したりして、歌壇の中心となって活躍しました。

「梅花の歌三十二首」は宴で詠まれた

「梅花の歌三十二首」というのは、その歌の宴で詠まれた短歌でした。すなわち、九州で大伴旅人が住む家に集まって、歌を詠んだり、お酒を飲んだりする宴会に31人が参加したわけですが、それは「梅の花を詠もう」と旅人が主宰したものです。

そこで、皆が詠んだ歌を書き留めて、旅人が「家で行った宴会に集まった人たちが、梅を題材に詠んだ歌がこちらですよ」という紹介をつけた文が、「令」と「和」を含む序文です。

大伴旅人の詩的な序文

といっても、この序文は、単なる説明ではなくて、「夜明けの峰には雲が動き、松は雲の薄絹をかけたように傘を傾ける
夕の山洞には霧が立ち込め、鳥はその霧のとばりに封じ込められたように、林の中に迷い遊ぶ」といった、文章自体が、きわめて詩的なものであり、これ自体が一つの詩であるといってもよいかと思われます。

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万葉集の「梅花の歌32首」序文全文と現代語訳

 

大伴旅人の「梅花の宴」における短歌解説

序文の他に、大伴旅人が書いたものは、その32首の中に宴の「主人」の歌として、短歌が1首あります。

ここに、その旅人の短歌をご紹介したいと思います。

「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」

読み:わがそのに うめのはなちる ひさかたの あめよりゆきの ながれくるかも

現代語訳と意味
わが園に梅の花が散る。空から雪が流れてくるのだろうか

「梅と雪」旅人の短歌の内容

「梅花の歌32首」の構成は、最初の7首は高貴な来賓客7人を置き、その後に宴の開催者である大伴旅人の歌が置かれています。

「梅と雪」の組み合わせが、この頃の短歌に多いのは、中国の詩である漢詩にそのモチーフが多いため、その影響、あるいは模倣で、旅人の歌も、落花を落雪とするモチーフが見られます。

その意図は、旅人自身が記した序文の部分に

「詩に落梅の篇を記す。古今とそれ何ぞ異ならん。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。」

(現代語訳)「漢詩に落梅の詩編が見られるが、古(いにしえ)も今もどんな違いがあろう。ここに庭の梅を題として、ここに短き歌を試みようではないか。」

と、ある通りです。

大伴旅人の次の短歌

そして、おもしろいことに、旅人が中国の詩に倣って「我が園に梅の花散る」と言ったのに、次の歌を読んだ大伴百代(おおとものももよ)は、

梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ

すなわち、「梅の花が散るとはどこのことだ」と言っているわけです。「しかしながら、なるほど、この城の山に雪は降り続けている」と、その後に続けています。

つまり、お正月では梅が咲くにも早い頃のことですから、まだ梅が散るなどと言う時期ではなかったのです。

けれども、旅人が、中国の風流な「落梅」の詩想に倣おう、として、「我が園に梅の花散る~」と読み上げた。

それに対して、大伴百代は茶目っ気を出して、宴の主の歌を混ぜっ返したようにも見えます。

お酒の入った席ですので、皆もこれには大いに湧いたのではなかったかと想像します。

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万葉集の梅の短歌・和歌 新元号「令和」の由来と「梅花の歌」32首 

 

山上憶良の歌との呼応

しかし、さらに、その前の歌を読んでみると興味深いことがわかります。

この32首で、旅人の前に詠まれた、最初の7首は高貴なお客、7人の歌だと申しました。

その中の5番目に、山上憶良(やまのうえのおくら)の歌があります。旅人の4首前です。

憶良は皆さんも知る通り、万葉集の有名な歌人の一人ですね。その憶良が詠んだ歌が、次のようなものです。

春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ 818: 筑前守山上大夫

読み:はるされば まずさくやどの うめのはな ひとりみつつや はるひくらさむ

現代語訳と意味
春になるとまず咲く我が家の梅の花を、一人で見ながら春の日を過ごそう

この「独り見つつや春日暮らさむ」を、「宴会の中にあって自己の孤独を詠んだ」と見る人もいます。

けれども、どうも内容が宴会の短歌としては不向きでしょう。

むしろ、故郷を遠く離れた赴任地へ着いて、妻を亡くしてひとりぼっちになってしまった、さびしい旅人の心境に重なるようなものだとは思えないでしょうか。

そもそも、宴会に集まって32人皆で楽しくやろうという時に「独り見つつ」では、雰囲気にはそぐわないものになってしまいます。

しかし、山上憶良という人は、宴会での即興の歌、宴席歌に長けていたといいますから、そのような下手な歌は詠まないのです。

むしろこの歌は、意図的に、大伴旅人の心情に成り代わって、憶良が詠んだものだと思っていいでしょう。

そして、集まりの席であるのに、「独り見つつ」が皆に受け入れられたということは、この宴を催した旅人の心境を、憶良と共に皆が共有していたと思われます。

山上憶良の歌との対応

もう一度、憶良の歌と旅人の歌とを見比べてみましょう。

春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ 憶良

我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも  旅人

「やど」とは、住まいとしての家屋のことをいいます。

つまり、憶良の言ったのは、自分の家で一人で花を見るということなのです。

すると、旅人はそれを引き取って、「我が園に」すなわち、「私の庭には、梅の花が散って、空からは雪が流れ来るのですよ」という。

最初に言った通り、序文にある「落梅篇」(中国の詩にならって)を模した「梅」と「雪」を含むものでもありますが、ひじょうに情緒的でもあり、「雪の流れ」が妻を亡くした悲しみに通じるような印象もあります。

一首の中で梅と雪とが和

そして、旅人が意識せずとも、梅と雪とが和する内容は、あたかも、心に梅の花が散るような思いに、天が雪を降らして答えてくれたというような、自分の内にある心情に外界が呼応するという心象風景を表すものと思えます。

敢えて言えば、「私のさびしい心持を皆さんもわかっていてくれているのですね」とも言えるような内容とも言えるかもしれません。

すると、最初に書いた茶目っ気のあるあの歌、大伴百代が、しんみりしてしまった座の雰囲気を盛り立てるかのように、

「梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ」(だって、どこに梅が散っているの。ああ、雪は降っているものね、なるほど)

「しかすがに」…最初に読んだときには、なんだか理屈っぽい変な歌だなあと思ったのですが、歌としてはともかく、場をほころばせようという、そういう機転を含んだ歌だったのではないかと思います。

 

万葉集の時代の歌の宴

この通り、このような歌の宴で詠まれる歌は、かなりの即興性を含んでおり、実際にその場で詠まれたものが収録されていると考えていいでしょう。

おそらくは、これにいくらかの楽隊がつき、舞い、すなわち読み手が、これらの歌をジェスチャーを伴って、踊りながら読み上げたものだとされています。

そして、これだけではなく、梅花の宴32首は、その全部が、それぞれが勝手に自分の歌を披露したのではなく、前の人の歌を受けて、それに自分の歌を続けて宴席を盛り上げていくということがなされた、つまり、歌をもって歌に応えるというように、進んでいったのだと思われます。

それだけに短歌が、そこに居る人の一体性を高めるものであったことは、間違いありません。

そして、そもそも、万葉集というのは、個人の歌を収めたものではなく、この宴の歌に似たような、皆の歌が一つのまとまりとして相和するようなコンセプトで編まれたものといえるかもしれません。

そのような知識を持って万葉集を見るときに、今まで以上におもしろいところに気がつかれることと思います。

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