万葉集

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ/柿本人麻呂/万葉集解説

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東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ、柿本人麻呂作、万葉集の有名な和歌を鑑賞、解説します。

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東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

読み:ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ

作者

柿本人麻呂 1-48

現代語訳

東の野に陽炎の立つのが見えて振り返ってみると月は西に傾いてしまった

 

解説と鑑賞

「軽皇子安騎の野に宿らせる時に柿本朝臣人麿が作る歌」という題詞に作られた一連の中の一首です。

実景を詠んだもののようですが、一連は、朝から夜、翌朝という時間的な構成をとっており、大切なのは、これが歌の世界の中に言葉で創造された神話的な世界であるということです。

人の立つ位置

「かぎろい」というのは、東の空が明るんで、太陽が昇る、または上ろうとしているところです。

そして、西の空には、月が沈もうとしているという眺めなのです。

この景色を見ている人は、太陽と月のはざまの中心に居ることとなります。

「かえり見」の意味

景色は東から西へと「かえり見」をして、初めて太陽と月を含む全体が確認されるようになっています。

また、前の歌に「安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き寝(い)も寝(ぬ)らめやも古へ思ふに」とあるように、現在の地点から「古(いにしえ)を思う」という、時間的な遡行を象徴する「かえり見」も同時に成り立っていることがわかります。

この一連は軽皇子が安騎の野に泊ったという出来事を詠んだものですが、安騎の野はまた、故草壁皇子の形見の地であるということで、「古を思う」というのは、その天皇の一族の生死、移り変わりともつながりがあります。

この歌の「かえり見」とは、つまり広大な空間の東西を結ぶ中心にあるということ、そして、古代と今との時間的な流れの中心にあるということです。いわば、この地を世界の中心として描き出したのが、この歌の情景です。

太陽と月との運行、昼と夜との転換、古代から現在への流れの、それらを今まさに感得できる空間を描き出すのが、一連とこの歌のモチーフです。

柿本人麻呂の描き出した世界の大きさに、改めて驚かずにはいられません。

この歌の読みについて

「つきかたぶきぬ」」の読みは賀茂真淵の訓読に今も倣ったというもので、実際にこの歌の通りに読めるかどうかというのは、今でも不確実であるそうです。

結句は、原本の万葉仮名では「月西渡」であり、「月西渡る」の可能性もある、否、おそらくそのとおりであったかもわかりません。

太陽が昇り、月が沈むというモチーフであれば、月が西に行くことをはっきり示す方が適当ともいえます。

万葉集の歌の読み方、訓読というのは、簡単なものではなく、平安時代にも、賀茂真淵の頃にもこれまでずっと研究が重ねられてきて、やっとこのように読むということが分かったものがおおくあり、未だに議論が残るものもあるということです。

古典が残るということ、古典を読むということの貴重さを、このエピソードからもうかがい知ることができます。

一連の歌

軽皇子安騎の野に宿らせる時に柿本朝臣人麿が作る歌

0045 やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子
神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
隠国(こもりく)の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を
石(いは)が根 楚樹(しもと)押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉蜻(かぎろひ)の 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に
旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして

短歌(みじかうた)
0046 安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き寝(い)も寝(ぬ)らめやも古へ思ふに

0047 ま草苅る荒野にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とそ来し

0048 東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ

0049 日並(ひなみ)の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ

一連の他の歌を含めて、流れと背景をつかんでみてください。

万葉とその時代のもっとも偉大な歌人、柿本人麻呂は引き続き鑑賞していきたい歌人の一人です。





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