ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく/石川啄木/意味と句切れ  

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ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく/石川啄木/意味と句切れ

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「ふるさとのふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」、石川啄木『一握の砂』短歌代表作品にわかりやすい現代語訳をつけました。歌の中の語や文法、句切れや表現技法と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。

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ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

読み:ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの ひとごみのなかに そをききにゆく

作者

石川啄木 『一握の砂』

現代語訳と意味:

ふるさとの訛りが懐かしい 駅の人込みの中にその訛りを聴きに行くのだよ

語の意味と文法解説:

停車場……駅のこと

そ……「それ」の代名詞

「訛りなつかし」……訛り」のあとに「が」の助詞が省略されている
「なつかし」は「なつかしい」の文語の基本形

表現技法と句切れ:

・2句切れ
・「人込みの中に」は8文字で、字余り


解説と鑑賞

明治43年作。

章の題は「煙」。「二」の最初の歌になる。

「ふるさと」とは岩手県渋民村のことだが、この訛りはもう少し広く、東北弁なのであろう。

「停車場」とは駅おそらくは、東北の人も利用されるということで上野駅が思い起こされる。

東北線の列車が発着するその大きな駅の雑踏の中で、ふと漏れ聞こえてくる、東北の訛り。

故郷とは遠く隔たり、また風景の片鱗もない都会生活において、ふと聞こえる訛りが故郷を思い出すよすがであるという。

故郷へ帰ることがかなわなかった作者の切なく悲しい思郷の念がうかがえる。

啄木にとっては、悲しい思いと切り離すことは出来なかった故郷は、いつも恋しい美しいものとして心に残っていた。

家族皆が東京で住まいながら生活が貧しくひっ迫していたために、経済的にも豊かで、悩みの無かった故郷であっただけに一層美しいものとして心に残っていたのであったろう。

ふるさとの言葉を持つ地方出身者

この歌で思い出すのは、同じく東北の青森出身の寺山修司が、青森弁を隠そうとしなかったことだ。寺山はスタイリッシュな人で大変な几帳面なところがあったと萩原朔美が書いていたことがあったが、それだけ故郷への愛着郷土愛が強かったのかもしれない。

ふるさとの訛りなくせし友といてモカコーヒーはかくまで苦し

というのが寺山修司の短歌だが、この歌を詠むときにはやはり啄木の上記の歌が頭にあったことだろう。

啄木の歌を含めて、寺山のこの短歌も、地方出身者である「ふるさとの言葉を持つ人」だけが、本当に深く感じ入る歌であるかもしれない。

「訛り」は劣ったことのように思われていることが多いが、このような作品を読むと、言葉の部分にアイデンティティーを指し示すものがある豊かさを持つことは誇るべきことだと地方出身者の筆者も思い直すことがある。

また、都会に住むことでそれが浮き彫りになるのは、啄木も寺山も同じだろう。

 

構成からみる一首成立の背景

この歌は、この章の最初の歌で、一番最後の歌が「ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」。

その間はすべて故郷が題材になる歌で、この歌に続くのが

やまひある 獣のごときわがこころ ふるさとのこと聞けばおとなし

ふと思ふ ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを三年聞かざり

そのあとが、「亡くなれる師」「その昔」と以下、すべてが過去形の故郷の出来事の回想となっている。

この章の構成と、それに伴う啄木のこころのカタルシスについては、下の記事に
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな/石川啄木


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