石川啄木『一握の砂』の短歌代表作30首解説と鑑賞 - 2ページ  

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石川啄木『一握の砂』の短歌代表作30首解説と鑑賞

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目次

わが髭ひげの 下向く癖(くせ)がいきどほろし このごろ憎き男に似たれば

現代語訳
私の髭の下を向く癖が腹立たしい。このごろ憎んでいる男に似ているので

解釈と解説

へなぶり調の中にさぐり当てた人生感情の真実がある。歌そのものは只事に見えても、社会生活をする上で、誰にでも共通して思い当たる感情はあるだろう。

 

「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」 止よせ止せ問答

現代語訳 
「これだけのことに死ぬのか」「これだけのことに生きるのか」止せ止せ問答

解釈と解説 

当時新詩社の短歌にはこのような問答調の試みが流行っていた。

しばしば自殺の誘惑にかられた、啄木のウィットに富んだ心の中の問答だろう。

 

やはらかに積れる雪に 熱ほてる頬ほを埋うづむるごとき 恋してみたし

現代語訳
柔らかに積もる雪に火照る頬をうずめるような恋がしてみたい

解釈と解説 

啄木の歌には比喩を眼目とするものが多くあり、これもその一つ。

 

あたらしき背広など着て 旅をせむ しかく今年ことしも思ひ過ぎたる

現代語訳
あたらしい背広などを着て旅してみたい。そのように思うだけで今年も過ぎてしまった

語句と表現技法

2句切れ
しかく・・・然く[副]副詞「しか」+副詞語尾「く」そのように。そんなにの意味。

解釈と解説

何でもないささやかなお洒落への心の惹かれ。後の、萩原朔太郎の「旅情」「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん」(大正14年)と共通性が見られる。

 

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと

現代語訳
一度でも私に頭を下げさせた人は皆死ねと祈ったこと(がある)

語句と表現技法

てし・・・完了の助動詞「つ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形

解釈と解説

啄木は「借金の天才」とも言われるくらいたいていの友人には借金があったという。なので、通常考えれば、親しい友人を含め、誰に対しても頭を下げたことはあったわけだが、そのようにひじょうに我が強く、傍若無人なところがあった。

しかし、このような感情は、やはり万人に思い当たるところでもあり、それが啄木の歌が愛されるゆえんでもあるのだろう。

この歌について詳しく読む
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと/石川啄木短歌の背景

 

我に似し友の二人(ふたり)よ 一人は死に 一人は牢(らう)を出いでて今病やむ

現代語訳
私に似た友の二人よ 一人は死んで、もう一人は牢屋を出て今は病気になっている

語句と表現技法

二句切れ

解釈と解説

盛岡中学の同級生の研究会で、実際亡くなった友人がいるが、服役したモデルはおらず、虚構だと考えられている。自分に似た、というところで、これからの自分の先の暗さを暗示する。

 

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

現代語訳
働いても働いて暮らしが楽になることはない。じっと手を見る

語句と表現技法

「はたらけど」のリフレインと、そのあと「なお」がつく。552のリズムを味わいたい。

解釈と解説

明治43年家族を東京に呼び寄せることはできたが、生活は相変わらず苦しい。当時の職種は朝日新聞社の校正係であった。

以下若山牧水の評。

初句から4句までこの作者の癖の抽象的に言い下してきて、5句に及んで急に「ぢつと手を見る」とくだけて、病者風に詠んだところに言いがたい重みがあると思う。まったくこの5句には電気のような閃きがある。

この歌についてもっと詳しく読む↓
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

或る時のわれのこころを 焼きたての 麺麭(ぱん)に似たりと思ひけるかな

現代語訳
ある時の自分の心を焼きたてのパンに似ていると思ったのであるよ

語句と表現技法

かな・・・詠嘆の助動詞

解釈と解説

啄木に多くある比喩で成り立つ歌の一首。「焼きたてのパンのような」を心を例えるのは、この時代ではことに新しく独創的である。

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来きて 妻つまとしたしむ


現代語訳
友だちが皆ことごとく自分より偉く見える日だ そんな日には花を買ってきて妻と親しみ、その寂しさを紛らわすことだ

語句と表現技法

2句切れ。「買ひ来て」は買って来て の複合動詞

解釈と解説

明治43年作。誰でもが経験する心理ではあるが、啄木はその気持ちの振幅がことに大きかったようである。誰よりも自分を優れているとする自負心が強かったため、反動の自信喪失も大きかったようだ。

卑屈な心理ではあるが、下句のさわやかさに救われる。

この歌についてもっと詳しく読む↓
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ/石川啄木

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