石川啄木

石川啄木『一握の砂』の短歌代表作30首解説と鑑賞

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石川啄木の短歌を収めた第一歌集『一握の砂』には、どのような短歌があるのでしょうか。

『一握の砂』の有名な短歌と読んでおきたい作品を30首選び、わかりやすい現代語訳をつけました。

歌の中の語や文法の解説と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。

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石川啄木の「一握の砂」短歌代表作品30首

『一握の砂』の有名な短歌と読んでおきたい作品を30首選び、現代語訳と解説を加えて掲載します。

もっとコンパクトに、代表作品だけを読みたい場合は
『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首

をご覧ください。

逆に、全作品を通しで読みたいという場合は、

『一握の砂』「我を愛する歌」石川啄木全短歌作品の現代語訳と解説

の方でお読みください。現在は最初の章ですが、順次書き足します。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

原文は各短歌が三行に分けて表記されています。スペースの関係で一行で表記するため、改行の箇所は字空けで示します。

現代語訳
東海の小島の磯の白砂に私は泣き濡れて蟹とたわむれる

解釈と解説
「東海の小島の磯」は、函館の大森浜のイメージが根底にあるとされるが、実際の情景を詠んだものではない。この歌は歌集の最初であり、これから歌を記し始めるにあたって、啄木にとってはそれは「蟹と戯れる」と同等のものであった。

つまり、茫漠とした心境は「東海の小島の磯の白浜」であって、「蟹と戯れる」は短歌を詠むことと言った方がわかりやすい。歌の中にあるものは、実在のものであれ、すべてそのように仮託されたものであるといってよい。

もっと詳しくこの歌について読む:
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

現代語訳
頬につたう涙をぬぐわずに一握の砂を示した人を忘れない

語の意味
「のごふ」・・・「ぬぐう」
示しし・・・「し」は過去の助動詞「き」の連体形

解釈と解説
本歌集題名『一握の砂』と関連があり、自分の作る歌を「一握の砂」とようにはかなくも虚しく悲しいものと考えている。つまり、歌の中の「人」は啄木自身である。

もっと詳しく:
頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず/石川啄木『一握の砂』

 

砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日

現代語訳
砂山の砂に腹ばいになると、初恋の胸の痛みが遠く思い出される日だ

解釈と解説
歌の中に詠われるのは、初恋の美しさではなく「痛み」なのである。

啄木が敗れたのは、結局、憧れに終わった小説という形式で書くことだったのであろう。

恋の歌というも、「初恋」は「小説」のメタファーでもある。

 

いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ

現代語訳
いのちのない砂の悲しさよ 握るとさらさらと指の間から落ちる

語句と表現技法
2句切れ

解釈と解説 
指の間からさらさらと落ちる砂が悲しいのは、命がないからである。

啄木は自分の最終的に選ばざるを得なかった短歌という形式に重きを置いていなかった。

しかし、本人の卑下を含む考えはともかく、半面ありのままの自分が現れている啄木の歌は、けっして「いのちなき」砂と同列に並べることはできないだろう。

 

大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

現代語訳
大という字を百あまり砂に書いて死ぬことを止めて帰って来た

語句と表現技法 
来れり・・・旧かなは送り仮名が今とは違っており、「きたれり」と読む
「り」は存続の助動詞

解釈と解説
明治41年の2晩で100首以上を作ったことが、想像の元にあるのだろう。「大」という字であるということが大成を願っていた啄木らしいともいえる。

もっと詳しく:
大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり 石川啄木

 

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず

現代語訳
たわむれに母を背負って、その余りの軽さに泣いて三歩も歩むことができない

語句と表現技法

「軽き」は形容詞軽しの名詞形
「そのあまり」は「その、あまりにも」を縮めた言い方だろう

解釈と解説

集中最も有名な歌の一つ。
母をふざけておぶってみたら、あまりにも軽いことに気がついて、悲しくなったという心の動きが詠われている。

歌そのものにも脚色はあるだろうが、のちに実際啄木の生活が困窮したのは、両親の扶助も行わなくてはならなかったからだとする説もある。

当初は富裕な寺の住職だった啄木の父は金銭トラブルで寺を出なければならなかったので、一家の生活が啄木の上にかかっており、父母に対する責任や負担もあったのには違いない。

もっと詳しく
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 石川啄木『一握の砂』

 

わが泣くを少女等をとめらきかば 病犬(やまいぬ)の 月に吠ほゆるに似たりといふらむ

現代語訳 
私が泣くのを少女達が聞けば、病気の犬が月に向かって吠えるに似ているというだろう

語句と表現技法 

きかば・・・仮定の条件法「聞いたとしたら」の意味。

解釈と解説

月に向かって吠える犬のように、泣くことは虚しい行為なのだ。萩原朔太郎の『月に吠える』とのつながりも思い出させる。

 

こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂(しとげ)て死なむと思ふ

現代語訳

気持ちよく私にはたらく仕事があるように。それをやり遂げて死のうと思う

解釈と解説

現代でも仕事上の悩みは共通のところであり、共感を持って読むことができる。啄木が貧しいことの一因は、仕事を持たなかったことにある。小説家を志していたため、無収入で書き続けていたためだったが、それが売れなかったのだった。

その後朝日新聞社に勤めたが、啄木には経済観念がなく、一家を十分に養うことができなかった。
ただし、啄木にしてみれば、気持ちよくできる仕事が見つからない苦悩があったのだろう。




愛犬の耳斬きりてみぬ あはれこれも 物に倦うみたる心にかあらむ

現代語訳
愛犬の耳を切ってみた。ああ、これもものごとに飽きてしまった心の思いつきであるだろう

語句と表現技法

2句切れ 「あはれ」は「ああ」という意味の間投詞

解釈と解説 

明治43年の歌が8割を占める中で、これは明治42年に発表の歌。いわゆるふざけた歌、啄木の言う「へなぶり調」の歌なのだが、その芝居気たっぷりな嘘に、ある心理的な真実がにじみ出ている。

なお、梶井基次郎の小説にも、猫の耳を改札の切符切りの道具で切ってみたいという場面が出てくるものがある。

 

鏡(かがみ)とり 能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽(あ)きし時

現代語訳 
鏡を手に取って、出来る限りのさまざまな顔をしてみた。泣くのに飽きたとき。

語句と表現技法

4句切れ
能うかぎり・・・できる限りの意味

解釈と解説 

明治41年作。4月末に北海道から上京して、友人金田一京助の下宿に転がり込み、小説家として立とうとするが、彼の書くものは文壇の受け入れるところとならない。

掲載されたのは十数編のうちわずか1作のみであった。その頃の失意を詠ったもの。

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