病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも
現代語訳
病気のように故郷を思う心が湧く日だ。目に青空の煙が悲しいことよ
語句と表現技法
2句切れ。啄木の歌に2句切れは多い。
「思郷」は しきょう と読む。故郷を懐かしみ思う気持ちのこと。
解釈と解説
石をもて追われるように去って、再び変えることを自分に禁じている故郷への思慕は、啄木にとってはいわば病のようなものだった。
この一連101首のタイトルは「煙」。煙のようにはかないものという気持ちだろう。
また、東京での生活に疲れながら、消えがちな少年の日を思う心が、「青空の煙」を追う行為に通じるものがあったのだろう。ほとんどが43年の作。
啄木の歌に、すがすがしいものは、それほど多くはないのだが、故郷を思う歌は、抒情的なものが多い。
己(おの)が名をほのかに呼びて 涙せし 十四(じふし)の春にかへる術すべなし
現代語訳
自分の名前を小さくかすかに呼んで涙を流した。14歳の春に還る術はない。
語句と表現技法
2句切れ
ほのかに・・・かすかに
解釈と解説
青春期を懐かしむ歌。原作は41年、初稿の初句は「君が名を」であった。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
現代語訳
不来方のお城の草に寝転んで 空に吸われた十五の心
語句と表現技法
不来方(こずかた)の城とは、盛岡城のこと。
解釈と解説
本歌集の代表歌の一つ。「空に吸はれし」の主語は空で、受け身として表されているが、この表現でみずみずしく柔軟な少年の心が表されている。
この歌について詳しく見る:
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 石川啄木『一握の砂』短歌代表作品
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
現代語訳
故郷の訛りがなつかしい。停車場の人ごみのなかにそれを聴きにいく
語句と表現技法
2句切れ
停車場は駅のこと
そ・・・それ の代名詞
解釈と解説
東北線の列車が発着する上野駅の人込みの中に故郷の訛を聞きに行くとする、具体的な行為で、思郷の念を表す。
この歌について詳しく
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品
石をもて追はるるごとく ふるさとを出いでしかなしみ 消ゆる時なし
現代語訳
石をもって追われるごとくかのように ふるさとを出た悲しみは 消える時がない
語句と表現技法
かなしみのあとには、「は」または「の」の主格の格助詞が省略されている。
したがって句切れはない。
解釈と解説
啄木の父一禎(いってい)は、寺の住職であったが、本山へ収めるべき費用を滞納して罷免。
一年後に取り消しとなったので、復帰を試みたが、一部の村人の反対で復帰は妨害された。精神的に参った父は家を出てしまい、一家は離散。
啄木は二度と故郷を訪れようとはしなかったという。
やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに
現代語訳
柔らかに春の柳が青くなる北上川の岸辺が目に見える。泣けというかのように
語句と表現技法
4句切れ
あをめる・・・青くなるの意味の「青む」の連用形
解釈と解説
まぶたに浮かぶ故郷の自然を泣かんばかりに懐かしむ。
「空に吸われし」と同じように、「吸う」のは空であり、「泣け」というのは「岸辺」である。自ら誘われる強い情緒を表すのに、対象物の擬人化された表現をとる。
ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
現代語訳
ふるさとの山は申し分がない。ふるさとの山はありがたいものだよ
語句と表現技法
3句切れ
かな・・・詠嘆の終助詞
解釈と解説
歌集の最初の方は、自嘲的な歌が多かったが、後半にかけて厳粛感が増してきた。
釈迢空の評:
この頃になると、啄木には、嘘もかけねもなく、いかにも、その心の底にある厳粛感がやさしさに充ちた調子で表現せられてきました
もっと詳しくこの歌について読む:
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな/石川啄木『一握の砂』
はたはたと黍(きび)の葉鳴れる ふるさとの軒端(のきば)なつかし 秋風吹けば
現代語訳
はたはたとトウモロコシの葉が鳴る故郷の軒端がなつかしい。秋風が吹けば
語句と表現技法
4句切れ 倒置法
鳴れる・・・鳴る
解釈と解説
風景の描写が主で、目だった主観句はないが、それゆえに心情がよく伝わるものとなっている。
故郷を詠む歌においては、啄木の強烈な自我は歌の情景の後ろに退く。そうして初めて詠まれたものが生きる歌となっている。これは啄木の比喩の歌についても言える。
かなしきは小樽(をたる)の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ
現代語訳
かなしいのは小樽の町よ 歌うことのない人々の声の荒いことよ
語句と表現技法
句切れと「よ」のリフレイン
「歌うことなき」とうのは、啄木が話したというように、詩歌を作るひとがないという意が根底にあるが、ここでは歌を歌わないという意味だろう。
解釈と解説
啄木は函館、札幌から小樽に職場の新聞社共に移り住んだが、小樽は田舎の町であり、人々は文化的ではないという雰囲気を指すのだろう。歌を歌わない人の声は美声ではないとの意。
石川啄木の短歌の特徴
以下は、中央公論社の「日本の詩歌」より。啄木の歌について。著者山本健吉。
啄木の歌はそれまでの短歌と全く違うばかりでなく、同時代の一流歌人たちとの作品とも性質を異にしている。
その違いを簡単に言うと、啄木と同時代の代表的な歌人、北原白秋、斎藤茂吉などは、歌そのものの神聖視の気持ちを失うことはなかった。
歌作は彼らにとっては生命を底に託するような至上の行為であり、遊び心などと縁のない仕事であったのに対し、啄木にとっては歌は遊びに近いものであった。
歌作の中に自分の小説家になろうとしての失敗をあざ笑うような、投げやりな気持ちがあった。短歌が目指された文学上の第一のテーマではなかったのである。
啄木によると
私は(小説を)ついに書けなかった。その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に負けた夫が、理由負なく子供を叱ったりいじめたりするような一種の開館を私は勝手気ままに短歌という一つの詩形を酷使することに発見した。
このような、生活の中から拾った感想の断片を無造作に歌の形式に投げ込んだものが、啄木の作歌道であった。
啄木の詩から受ける感銘は、生活そのものの中でわれわれの心を去来するところの、瞬間的な人間くさい感銘であって、白秋や茂吉のように和歌や詩の精神そのものの神聖視による、完璧な作品への願望が動機ではない。
そういう意味で啄木は「悲しい玩具」と短歌のことを呼んでいた。
そしてそれが、万人の胸に真なるものとして訴えることとなった。彼の歌がことごとく、どこか投げやりに見え、しかも同時に真実の鏡のように見えるのは、以上のような独自の思想によるものであった。