巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を/万葉集の椿の短歌7首  

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巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を/万葉集の椿の短歌7首

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巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 万葉集の椿を詠んだ有名な短歌のご紹介です。

令和の語源が万葉集と知られるようになったので、梅が代表的な花のようにも思われていますが、椿もまた古くからある花だということで、万葉集の和歌にも詠まれています。

他にも万葉集の椿を詠んだ短歌7首全部を紹介します。

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 万葉集の椿の和歌・短歌

 

万葉集における椿の短歌は、全部で9首と言われていますが、そのうち1首は長歌、もう一つは短歌よりも長い形となっています。

そのうちの2首が大友家持が詠んだものになります。

ここでは、万葉集から椿を詠んだ歌のうち、定型の短歌のみを紹介します。

奥山の八つ峰の椿つばらかに 今日は暮らさね大夫の伴

読み:おくやまの やつおのつばき つばらかに きょうはくらさね ますらをのとも

作者と出典:

大伴家持 巻19-4152

意味:

奥山の峰々に咲く椿、その名のようにつばらかに、今日は心ゆくまで楽しい一日を過ごしてください、男性たちよ

解説

作者は、大伴家持(おおとものやかもち)。元号「令和」の元となった序文の作者大伴旅人の息子であり、万葉集の編纂に大きく関わった人物です。

2句までの「奥山の八つ峰の椿」は、同音「つばらかに」を起こすための序にあたります。

「つばらかに」は「つばき」の「つば」と、語調をそろえています。

意味は「存分に、よくよく」という意味になります。

宴席での挨拶として詠まれたもので、出席した官人たちに呼びかけたものです。

「ますらを」というのは、立派な成人男性を指す古語です。

 

あしひきの八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君

読み:あしひきの やつおのつばき つらつらに みともあかめや うえてけるきみ

作者と出典:

大伴家持 巻19-4152

意味:

みねみねのつばきのつくづくと見ても私は飽きることがない。これを植えたあなたという方は

解説

「右は兵部少輔(ひょうぶのしょう)大伴家持が植えてある椿にことよせて作ったものである」との説明があります。

この歌は、大原真人という人の家での宴の際に、その椿を見ながら詠んだもので、これも挨拶を兼ねた歌ということになります。

また、この歌は、下にある「巨勢山のつらつら椿」をそのままに本歌取りしたものです。

 

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

読み:こぜやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのわな こぜのはるのを

作者:

坂門人足 巻1-54

意味:

巨勢山のつらつら椿を、じっくりとつらつらと見ながら偲ぼうよ、巨勢山の春を

解説

「つらつら椿」というのは、椿の並木、または、椿の枝や花が連なった様子とも解釈されます。

次の「つらつらと」見ながら、に韻を踏んでいます。

「つらつらに」は熟視する様子、つくづく、「偲はな」の偲ぶはある物を媒介にして眼前にないものを思い浮かべることを指します。

この歌が読まれたのは遅い秋の頃で、椿の花はありませんが、花の咲く春の様子を偲ぼうという意味になります。

それに似た歌として、万葉集に参考のように上げられているのが類似する下の歌です。

 

川上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は

作者は、春日蔵首老(1-56)。

これは上の歌と、どちらかが本歌取りのようですね。

 

椿に寄せる相聞の歌

ここからは椿に寄せる相聞の歌を二首上げます

我妹子を早み浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ

読み:わぎもこを はやみはまかえぜ やまとなる わをまつつばき ふかざるなゆめ

作者と出典:

長皇子 巻1-73

意味:

わが妻を一日も早く見たい。疾風の浜風よ、大和にある私を待つ松や椿を吹き忘れるなよ、けっして

解説:

旅に出た作者が、妻と故郷を偲んで詠んだ歌です。

思いの強さが伝わりますが、それだけでなく様々な工夫が凝らされています。

掛詞が二つ

「早み浜風」というのは、早く吹く、浜風の意味。「はやみ」に「早く見よう」の掛詞があります。

我が松椿というのは、「私の帰りを待っている松や椿」とのことで、この「松」も「待つ」の掛詞です。

この後の時代になると、和歌は掛詞が普通に見られるものとなりますが、万葉集でこのような技法を使うものは珍しいですね。

「ゆめ」は禁止

「吹かざるなゆめ」の「ゆめ」は、は禁止や命令を受けて、強調する言葉です。

斎藤茂吉が使ったもの「草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ がよく知られています。

あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも

読み:あしひきの やまつばきさく やつをこえ しかまつきみが いわいづまかも

作者と出典

作者不詳 7-1262

意味:

山椿が咲く峰々を超えて鹿を狙ってますあなたの大切な妻であるよ

解説:

この解説は斎藤茂吉が述べたものがあります。

これは、猟師が多くの山を越えながら鹿ししの来るのを、心に期待して、隠れ待っている気持で、そのように大切に隠して置く君の妻よというのである。

「斎妻」などいう語は、現代の吾等には直ぐには頭に来ないが、繰返し読んでいるうちに馴れて来るのである。

つまり神に斎いつくように、粗末にせず、大切にする妻というので、出て来る珍らしい獲物の鹿を大切にする気持と相通じて居る。

「鹿待つ」までは序詞だが、こういう実際から来た誠に優れた序詞が、万葉になかなか多いので、その一例を此処に示すこととした。『万葉秀歌』斎藤茂吉

我が門の片山椿まこと汝れ我が手触れなな土に落ちもかも

読み:わがかどの かたやまつばき まことなれ わがてふれなな つちにおちかも

作者と出典:

物部広足(もののべのひろたり) 巻20-4418

意味:

俺の家の門の片山椿よ、本当にお前は、おれの手が触れない間、土に落ちてはしまわないだろうか

解説:

「我が門の」は「私の家の門から見える」の意味と推測されています。

「片山椿」の片山というのは、片方の意味、つまり自分突にした場合の、相手の女性のことを指します。

わが手ふれなな」の「なな」は方言らしく、触れない間にの意味で、この歌は、自分が留守の間に、大切な相手が他人に奪われるということを、「土に落ちる」椿の花に例えて不安な家を表したものです。

作者は防人であったので、3年間は家を離れて、九州の守りにつつかなければなりませんでした。

別れが悲しいというだけではなく様々な心配をしながら旅立っていった防人の心境が思いやられます。

防人の歌については、主要な作品から解説していますので、下の目次から各記事をご覧ください。

終わりに

椿を詠んだ万葉集の短歌を6首ご紹介しました。
椿もまたこんなにも古くからあった植物、皆様もまた、万葉集につながる椿の歌を読んでみてくださいね。




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